Revolutionary Kyoto:'70s ロックシーン

日本最古のロックバンド 村八分伝説

アメリカ放浪から帰国した柴田和志と、ザ・ダイナマイツを解散したばかりだった山口冨士夫を中心に京都で結成された。柴田による京都弁そのままの扇動的MCなど強力なインパクトで、関西を中心に人気を得ていく。


70年結成時 山口富士夫(G;元ダイナマイツ),浅田哲(G),柴田和志(Vo;チャーボー),青木真一(B),恒田義見(Dr)。
2代目Drは上原裕。71年青木脱退。72年4月,上原脱退。
三代目Drはカント(渡辺作郎)。
72年8月2日、二代目Bに加藤義明加入。浅田哲は「ライブ村八分」録音直前(73年2月頃)で脱退。
73年5月5日京都大学西部講堂にてラストライヴ(「ライブ村八分」はこの時の録音)。この時のメンバーは山口(G)、柴田(Vo)、加藤(B)、エーイチ(G)、村瀬シゲト(4代目Dr)。
78年8月25日解散。78年5月再結成,浅田復帰。78年7月自然消滅。
90年、チャーボーは村八分名義で活動。