都雅都雅 2

自らを理解した上でのクオリティと
驚くべき同店の「ノー・ノルマ」の関連性
 このコーナーを続けていくうち、妙な縁を感じている。取材依頼をする時期が、そのライヴハウスの大きな転換機なのである。周年だったりブッキングマネージャーが変わったり。「WHOOPEE’S」もそうだった。「KYOTO MUSE」もそう。今回もである。’92年にこの「都雅都雅」がオープンして以来13年に渡って同店を預かっている松井秀教氏は、新たに広瀬氏に受け継ぐという。その過渡期に「これまで」と「これから」を伺えることになったのは、ある意味では幸運だ。
 先月号で既述のとおり、「真面目なバンドが増えて、大風呂敷を広げる嘘つきがいなくなった」と残念そうに語るのである。恐らく今も変わらず、同店のイメージはフォークなのだ。サウンドシステム的にプロのロックバンドは厳しいという理由もある。システムが素人という意味ではない。あくまで容量の話で、機材的に電圧の高いロックという音楽をやるには難しいのだ。資本の話になってしまうが、システムを変えようと思えば、当然コストがかかる。できないことをやらないのもプライドだ。「そのコストをかけると、バンドにノルマを付けなきゃいけなくなるでしょ?」。松井氏が続けた言葉は同店を象徴する貴重な一言であり、驚くべき一言だ。
 同店では「チケット何枚売ってください」「最低でもこれだけのレンタルフィーをいただきますよ」というノルマが無い。それがいったい何を示すか? 「そう、観客ゼロでも(出演者は)オッケー(笑)〈松井氏〉」。笑い話ではない。だが「とんでもない」という発想がそもそも違うのだ。もはや文化が違う。
 「それでも不思議なのが『ものすごくノルマが高いらしいで』という噂が立つことと、『ノルマを付けないから出たくない』と言う人がいること〈松井氏〉」「ノルマがあった方が気が楽なんですよ。『お客さんが来なかったらどうしよう』と思う必要がないから〈広瀬氏〉」「面白いでしょ?〈松井氏〉」。
「金さえ払えば出れる」は是か非か
アマチュアリズムの中に求めるプロ意識
 松井氏はこう続けた。「ライヴハウスも悪いんやけどね。言ってみればお金を払えば出れるわけでしょ。そこそこの年齢になればお金は持ってるし、何バンドかタイバンにして、メンバーで割ればしれてる。出てるバンドの全員がそう思ってるからね」。かといってテープ審査を厳しくして、その小屋にあったバンドを選んでいくと今度は小屋に色が付いてしまう…。だからライヴハウスは難しい。「今の時代に合ってるのはウチなんかよりそういう(ノルマ制の)ライヴハウスなんでしょう。でもじゃぁ10年後はどうなってるやろ? と思うとね〈松井氏〉」。「金さえ払えば出られる」という考えを云々しだせば、「そうなるともう出る側の話〈広瀬氏〉」。そう、出る側の覚悟だ。「僕らは多くを望んでいるわけではないんですけどね。『何か面白いことをやった。次は前よりも楽しくなった。それだけでえぇんやないの?』と思ってたから。良いのを聴けば気持ちいいし、アカンかったら『次はどうしたらえぇかなぁ?』という話になるし。バンドと一緒になって成長していくのが楽しいわけで〈松井氏〉」。
 オープンからずっとノルマ無し。「だから僕はキッチンスタッフも、照明も、音響以外のことは全部やる。帳尻合わせるところはそれしかないもの。『ハイ、ひとバンドなんぼ』ってした方が良いのかもしれないけど〈松井氏〉」。
 だからこそ、結局、同店は出演するバンドやミュージシャンを選んできたのかもしれない、そうも思う。ノルマが無いと聞いて、腰が引けるバンドは選んでこなかったということだ、と。だからこそ、それなりには集客を維持してきた。同店のステージに立つ者は、最低でもそこそこはやる。少なくともノルマが無いことに怖じ気づくことはない。他のライヴハウスのように、毎日フルで営業ができない原因としてそのことがあるのではないか。つまり、毎日営業できるほどには、腰の据わったバンドがいない…。少し黙り込んでしまう。
 「機材壊されるのも怖いしねぇ。パフォーマンスでマイクを投げられるとウチは困るわけ(笑)〈松井氏〉」。機材を大切にすることで、機材の知識を得ることができる。普段練習している機材と、ライヴハウスの機材はどう違うのか。その違いを埋めるためにはどうすれば良いのか。具体的に言えば、アンプのセッティングをどうすれば良いのかという知識が必要になる。話を戻せば、バンドとしてはそれぐらいの知識ベースは必要ではないか、というのが同店の意見だ。ギターにしろベースにしろ、何のためらいもなくリバーブやトレブルのツマミをフルにして、それでいつもの音が出るのかい? と。自分たちが出す音と、目の前にある機材の相関関係を知るぐらいは基本ではないか。それを「敷居が高いライヴハウスだ」と言うのは簡単だが、敷居の高さなど相対的なものである。先に述べた「ロックバンドはサウンドシステム上、ウチでは無理」という発言は、「満足のいくイクイップメントが提供できないだろうから」という自らを知るからこそ言えることなのだ。システムの良し悪しよりも、小屋を使う側、使われる側のバランス、ちょうど良い距離を計り、そして保つことで質の高いライヴを実現しようとする。「本来ブッキングマネージャーってのは予約を埋めるだけなんですよ。それプラスαを求めたいわけです。ライヴじゃない部分でね〈松井氏〉」「小屋をマネージメントする以上は、どうせなら良い音を聴きたいしね〈広瀬氏〉」。アマチュアバンドにも五分の魂、ではないが「譲れぬ部分は互いに持ちましょう」という気風を感じる。そう言って水を向けると、松井氏はまた軽く笑った後に、「だから自信を持って『良いバンドばっかりでやって来た』と言えるから」と真顔で言った。
語弊を恐れず敢えて言おう
出る、出す、双方が大人だ、と。
 「読者の方で、解り易いのは『BEGIN』ぐらいなのかなぁ〈広瀬氏〉」「でも『エテナクス』(ライヴ写真)だってすごいと思うよ。アマチュアでこれだけできるんだもん〈松井氏〉」。これも毎回お伝えすることだが、過去に同店のステージに立った人の名前を出すことで、そのライヴハウスの格を語るという意図はない。あくまでも解り易く、少しでもイメージしていただくための例である。
 松井氏がブッキングマネージャーになってから1~2年目。阪神淡路大震災の年には「泉谷しげる」が来た。彼がフォークゲリラをやっていた頃だ。京都のライヴハウスとしては、驚くべきことに同店が2店舗目だったという。「ハウンドドッグ」のメンバーとのオールナイトライヴだった。他にも「ウチに出演する唯一のロックバンド」として松井氏が名前を挙げたのは、Vo.が「LOUDNESS」の仁井原実、G.が元「筋肉少女帯」の橘高文彦、B.が元「爆風スランプ」の和佐田達彦、Dr.が同じく元「爆風スランプ」のファンキー末吉というメンバーで編成された「XYZ→A」、他に「桑名正博」、井上暁之とのユニットで「宇崎竜童」らが同店を訪れた。話を聞いていると、例えば「斉藤和義」「山崎まさよし」「スガシカオ」…。この辺りのミュージシャンが同店には似合うような気がする。正直に訊いてみた。「そうそう、あぁいう人たちありあり(笑)。今から思えば早いウチにやっときゃよかったね。『氣志團』もやろうとはしたんやけどね(笑)。紹介はされてたんやけどタイミングが合わなかったからね。何がえぇって、キチンと挨拶できるのがえぇって言うてましたね。『あの子ら見た感じ怖いけど、ムチャクチャ腰低いよぉ』って。小屋のスタッフにはすごく評判が良かった。だから話が来たんだと思うし。今の子は『おはようございます』『お疲れさまでした』がないもん〈松井氏〉」。
 こういう話も何度も聞いてきた。ただ、同店にはあまり似合わないような気もする。何というか、双方が大人同士という雰囲気がある。だから出来を訊かれることに関しても懐疑的だ。特に技術的なことを訊かれても、それは練習をするか、数をこなしていくしかないのだから。それよりも、「出てもらったということは、良いバンドってことだから」なのである。それを感じて欲しい、理解して欲しいと言う。これをライヴハウスの自信と呼ぶのか、矜持と呼ぶのかは解らないが、お互いにある一定の信頼感を持った上で成り立っているような気がしてならない。バンドとライヴハウスが、長く付き合った恋人同士や夫婦のように、あまり多くを語らずとも理解し合える関係とでも言おうか。理想的なようだが、対外的には「限られた者が集う場所」というイメージを与えてしまうというリスクは否めない。言い換えれば、それが「大人の店」という巷間の評価なのかもしれない。
やり残したと思うことはない。
これからも続いていくことなんやから。
 ともあれ、この「都雅都雅」をご紹介する号が書店に並ぶ頃、松井氏から広瀬氏にタスキは渡される。広瀬氏は現在まで、シャンソンの世界でイベンターや、アレンジャーの仕事をしてきた人である(写真右頁)。ある意味、ブッキングマネージャーとしては松井氏と同じくイチからの出発だ。読者の方々にはなかなか観慣れない、また聴き慣れない音楽かもしれないが、同店でシャンソンが聴けることになるのはまず間違いない。シャンソン歌手とは元来、しっかりと自分のファンを持ち、ある程度の集客が間違いのない、どちらかというとプライドが高い人が多いという。これはこれで、耳慣れない人にはちょっとした壁のようなものを感じるかもしれないが、「シャンソン歌手といえばシャンソンとカンツォーネ」という定番ではなく、オリジナリティを求める人も増えており、「シャンソン歌手」と括られることを嫌う人まで出てきているという。簡単に単純にジャンルで十把一絡げにされたくない、個性化・多様化は音の種類や歌の種類の別を越えてあるらしい。
 「これからはホームレスにでも(笑)」と本人の冗談はさておいて、松井氏もこの後何らか関わっては行くという。「やり残した」と思うことはない。何故ならこのライヴハウスは続いていくものだから。それに同店を離れるからといって、何もできなくなるわけでもない。「むしろ離れたからこそできることもあるよね。逆に増えるかもしれない。逆に言えば、ここにいるとここでしかできない。離れればどこでもできる。何やってもOK。ちょっと長いこといすぎた気はするかな〈松井氏〉」。オープン当初はスーツ姿で同店にいた。(当時は1Fから上が「タニヤマライフ館」というタニヤマムセンの系列店だったため。詳細は前頁参照)余計に「タニヤマムセンの社員さんなのかな」と思われたそうである。未だにそう思っている人もいるらしい。「そうそう。ある時とあるアマチュアバンド君に言われたんですよ。『それじゃ取っつきにくいんですけど…』って(笑)。で、慌てて翌日ジーンズを買いにいってね〈松井氏〉」。
 それ以外は何も変わらない。「僕の年齢は上がったけど、付き合ってる連中の年齢は変わらないからか、成長できてないだけかなぁ。この年でブッキングマネージャーやってるんだからねぇ(笑)〈松井氏〉」。それはオープン当初から成熟していたということだろう。来るものは拒まず、去る者は追わず。そのスタンスが他のライヴハウスと変わることはない。趣味でやってる人は「良かったね」だけで良い、プロを目指すなら「次はこうしたら?」と言えばいい。都雅都雅に出るのはチャレンジじゃないんだよ、と笑いながら歩いてきた。
 年齢層は10代後半から50代まで。色はついてはいけないが、「都雅都雅の匂いがある」と言われるのが一番嬉しい。それを落ち着きという言葉とするのは間違いかもしれない。もしくは動じなさ? 「もしくは世捨て人(笑)〈広瀬氏〉」「でもそれで結果が出てきてるからね〈松井氏〉」。13年という短くない時間をかけてそれを成した。並々ならぬ苦労も伴ったはずである。リスペクトする「磔磔」には、まだ及ばないかもしれない。ここを訪れる人はまだ「怖さのようなもの」は感じていないかもしれない。それでも少しずつ、彼の店で感じる「壁に染み込んでいく何か」の手応えは感じている。だからこそ、爽やかさに近い清々しさすら感じるのだ。