Lab.Tribe 2

巨大な怪物は爪痕を残し
暖まった流れが止まった
 バブルという怪物が、日本に残した爪痕は大きく、その見えぬ傷は長く日本を蝕んだ。経済の破綻に国が歯止めをかけきれなかったケースも多く、「2ndウェーブ、3rdウェーブ、まさに余波やね。それがウチにも来た」と同店のプロデューサー金正氏は言う。昨月号で紹介したとおり、同店が突如その看板を降ろさざるを得なくなったのは、バブルがはじけたと言われてから、およそ10年もの年月が経った後だった。それは同店の経営が立ち行かなくなったのではなく、物件の管理会社が変わったという事情だった。むしろその頃の同店は、開店以来、順調に右肩上がりの成長を続け、まさにピークにあった。ピークという表現も不適切かもしれない。それは相応の歴史があり、山や谷があってこそ言えるのだから。消費が冷え込んだと言われた時代に、順調に登頂を目指した山の半ばで下山を強いられたようなものである。
 「暖まった流れが止まってしまった」という述懐に、「次、どうする?」と考えたときのストレスは想像に難くない。淀んでしまったが暖かいうちに再度流そうと、運営陣は物件を探し歩いた。だが実績がある分、自分たちの理想の演出や人の流れを作れる立地、ハコがなかなか見つからなかった。淀みの温度も冷えかけ、心も折れかけたとき、救いの手は、残念ながら京都の西、大阪から差し伸べられた。

再び現れたホワイトキューブ
だがそれは京都ではなかった

 「(アメリカ村の)三角公園に音楽を中心にしたメディア基地をつくりたい」。そんなオファーが舞い込んできた。それは再び現れた真っ白なキャンバス、「ホワイトキューブ」であった。「建物をいちから建設する中でのプロジェクトだったので、自由にコンセプトやサウンド&ライティングの演出も提案できた〈金正氏〉」。それが「TRIANGLE」というハコである。三角公園に面したという意味もあるが、それぞれに性格の異なる3フロア構成で、吹き抜けを通して3つのアングルを見ることができる。つまり「トライ・アングル」。「Lab.Tribe」と同じ、店名に複数の意味を持たせる、そのギミックが実は隠れている。これは年間10万人もの動員を計画する店で、それが可能なバックボーンをもっており、実際に近い数字を実現している。
 ただし、土地が大阪である。それまで培った京都のカルチャーや、手法が使えないストレスはなかったのだろうか。「新天地としてはよくやった方やと思う。プロモーションに関してはFM802とのラインとか、立体的にできたというのもあるし〈金正氏〉」。ただ、オーナーである大原義盛氏は、同業種内でのフライヤーの交換などを好まない、ワン&オンリーを求める一匹狼的なところがあった。「『近所付き合い大切やから、これもプロモーション』と諫めるシーンもあったね(笑)。やっぱり街が大きくなればなるほどミーハーになる。解りやすいものを求めるんやね〈金正氏〉」。つまり、それが「マス」である。当時の音楽性で言えばヒップホップやトランス。イメージは’80年代のカリフォルニアではなく、’90年代以降のマンハッタン、ブロンクスのギャングたちにスクラブリングという感じである。「京都で言うならピンポイントでリピーターを得るところやけどね〈金正氏〉」。このコメントには驚いた。今号のP.58~P.59で大沢伸一氏が言っていることと同じなのである。外を見ると、内側が解るものだ。

都会の肉弾戦と、京都的な別物と
絶対に戻ろうと、心に誓った

 それだけに、大阪では「アンタらがやろうとしてることは京都的や」という評も頂戴した。それこそメトロが「Arto Lindsay」や「G. Love & Special Sauce」、日本のシーンで言えば「小西康陽」や「PIZZICATO FIVE」をブッキングしたことに対して、大阪で主流となったヒップホップやトランスという肉弾戦は真逆の存在であった。「京都系というのは、いわゆるポップ系。ハッピーチャームやフールダンスミュージックというやつやったからね。大阪は確かにその真逆ではあったけど、でもまぁそれは『やりにくさ』、というよりも『違い』やね〈金正氏〉」。時代は「ギャル&ホスト」、日本のミュージックシーンで最も目にしたレーベルは今に続く「avex」となろうか。それでもイギリスのパンクシーンから派生したハイ・ビートのドラムンベースというジャンルを海外からダイレクトに持ってくるなど、レジスタンス的にレヴォリューショナルなものを模索してはいた。
 ともあれ、大阪でも予定どおり軌道に乗せ、代表の大原氏は同様の施設を複数軒経営する立場となった。その中には東京は渋谷・道玄坂の「club asia」「VUENOS」も含まれる。錚々たるビッグネームのクラブツアーができるようなハコである。先頃、「自信作やから、観てもらいたいと思って」と笑いながら弊社を訪れてくれた大原氏が手にしていたのは、「club asia」の周年を記念したDVDであった。「川村かおり」「ZEEBRA」「RIZE」「真木蔵人」らがそれぞれに祝いのコメントを述べ、中でも「Def Tech」はここが自分たちの出会いの場であるとコメントしている。
 京都を離れて順調に推移し、ノウハウが増えていく一方、京都は河原町二条のかつての「Lab.Tribe」は、当てつけのようにモデルルームになっていたりもした。今や実在はしないが、それでも手掛ける全てのハコの原点は河原町二条にあった。「圧倒的な実力をつけて、いつかは戻ろう」。そう誓ってもいた。

誓いは唐突に果たされる
復活とリベンジの日は訪れた

 そして、その機会がとうとう訪れた。しかも、全ての始まりである河原町二条の、かつてと同じ場所で。ホワイトキューブの見栄えは変わったし、今やこことは別に、比較にならないほどの大きなハコを構えてもいる。だが5年前は見えない点であったものが、今は線や面として解る。従来のコンセプトはそのままに、ハッキリと打ち出せるプランがある。そのためのノウハウも十二分にある。大原氏にも金正氏にも「アナザーディメンション」という新たなコンセプトがハッキリと見えており、「例えばワールドワイドにやっているミュージシャンで、京都が好きな人の、座って聴かせるコンサートホールやライヴハウスでプレイするのとは別の側面、それをやったらどうなるの? と。彼らがオフタイムで、別名義でやりたいことを可能にする場所やね〈金正氏〉」。これも、メトロに近い文化なのだが、そこにもやはり「実験的」という要素が必ず入る。
 英国のブレア首相が「このギタリストは誰だ?」と問うたという、「Simply Red」のギタリスト、「Kenji Jammer」が良い例だ。彼はこう言った。「ジョン・ライドンは『ロックは死んだ』と言った。それが真実だとしたら、ロックというフォーマットを使ってチルアウト・ミュージックをやったらどうなるか?」と。彼が「ゆるゆるギターズ」という名義で同店で行ったのは、その試みであった。ロックという大音量の音楽を、最小音でプレイする。まさにこれは実験であり、同店がその実験室となったのだ。

メジャーの正面には無いシーン
そこにカルチャーを見出したい

 「『 TAHITI 80×FPM 』もそうやね。いわゆるアフター・パーティみたいなもの。収益性も大事やけれど、それができれば、それ以上の感動が創れれば良いと思う〈金正氏〉」。形が決まっているものの側面。もちろんそれは下世話な出歯亀根性ではなく、側面を見せたいと思うプレイヤーに、「あなたがやりたいことですよ」という環境を提供したいということだ。「パッケージツアーの一箇所になりたいとは思わないからね。ハッと驚く、サーカスっぽいというか、ハプニングも大歓迎、予定調和を壊すことで、新しいメジャー概念を生み出すというかね〈金正氏〉」。
 今後、実現できたら素晴らしいと思うミュージシャンの名を聞くと、「マドンナ」という名前が出てきた。「基本はダンスミュージックやけど、ヴォーギングにしろ、ラップにしろ、ジャック・ジョンソンのようなオーガニックサウンドにしろ、その時々のポストメインストリームを常にいち早く提示して、エンターテインメントとしてショーアップしている、実はストイックな姿に強いシンパシーを感じる」。それが実現できるかどうかは解らないが、件の「TRIANGLE」では、プリンスやマキシ・プリーストのアフター・パーティを実際に行っているのだから、あながち夢物語でもあるまい。
 クラブサーキットも、今はハッキリ見えている「面」である。ニュートラルな立場で、その面を生む発火点になりたいという。そういった大がかりなイベントに際しても、ブッキングする相手には事欠かない。こと京都においては、ノウハウはブッキングだけではない。「例えば大きなイベントがあるときは、ご近所に菓子折持って挨拶に行くし、近所のおばあちゃんが起き出す頃に、こっちは店のまわりをホウキ持って掃除してるわけ。茶パツのスタッフが朝早くから角掃きしてたら、『おっ』と思うでしょ(笑)。僕は河原町二条界隈の住民でもあるから、どこのお家は慎重に行かなアカンというのも解るしね(笑)〈大原氏〉」。それは地域教育という概念であろう。「神社で縁日があるとするでしょ。で、翌日にゴミだらけになっていても、誰も『神社が悪い』とは言わない。ところが僕らは違うんです」。

「ムダこそ文化」という真実を
これからも京都に突きつけよう

 敢えて言ってしまえば、音楽はライフスタイルのごく一部。それをふまえて、良いハコと、良い音と、美味い酒とフレンドリーなスタッフがいることで、その一夜が人生の一部として記憶に残ればいい。「音楽が全て」ではなく、である。そういう、客観性という意味でクールに構えている。その良し悪しはやはり解らない。ライヴハウスという場所が、基本的に音楽漬けで、音楽が止められない者たちが集まる場所だとしたら、同店は異端で、ミュージックシーンとは少し距離を置いた立ち位置にいるのかもしれない。
 それでも「ムダこそ文化。それを続けること」、という指針を貫くことで、京都のフラッグシップを目指すのである。「何をバカなことを」。’70年代のウェストロードの時代から、京都に現れた数多のミュージシャンも恐らく同じ事を言われただろう。識者からすれば、それはムダに思えたからに他なるまい。それでも京都という街は彼らを輩出し続け、文化として根付かせてきた。同店が考える流儀なり役割が、それを成さないと言い切れようか。
 いつの日か、この決して大きくはないハコにマドンナが訪れたとき、我々はその「偉大なムダ」の素晴らしさを目の当たりにするのかもしれない。