KYOTO MOJO 2

同バンドから出てくる音というのは、
そのバンドの人格で、バンドマンの心

 同店の代表、大仁田氏は、自分が最も音楽に熱を入れていた若い頃のスタンスを押しつけようとは思わないと言う。「ギターを持つだけで立派な不良。音を鳴らしてもうるさいと思われるだけ」という時代と今は違うのだから。それよりも「『人間と音楽』というポリシー。つまり『人間がやる音楽であって欲しい』というだけです」。概念的で、含蓄に溢れた言葉である。具体的には、それはどういうことなのか? 「出てくる音というのはそのバンドの人格で、バンドマンの心として出てくる。だから病んでて欲しくないということです。大衆音楽が自分自身は好きなんです。音楽を聴くのはミュージシャンじゃない。譜面も読めない『聴く人』です。その人たちに通じないような自己満足の音楽は、僕個人としては好まない。寂しい時の癒しとか、弱っている時のパワーとか、そういうエネルギーを伝えることができたらいいな、と」。それは例えば、演者のテクニックとシンクロに特化したプログレッシヴ・ロックであっても良い。「音楽的に面白いですから、全く嫌いじゃない。ジャンルでもって好き嫌いはないです。演歌も歌謡曲も浪曲も、『ハンバーグが好き』『カレーが好き』という食べ物の好みがあるように、音楽も趣味嗜好ですから」。これはもっと大きく捉えて、人間と置き換えても構わない。ハンバーグもカレーも料理なら、白色人種も黄色人種も人間だ。やはりテーマは人間が組むバンドであり、バンドという個性の集合体=人格によるのだ。思考を一周させるとよく解る。
 歳を重ねれば味覚も変わる。同じように視覚も聴覚も変わる。だがこうも考えられる。「SEX PISTOLS」のジョン・ライドンが「ロックは死んだ」という言葉が本当なら、もう新種は生まれないかもしれない。だからといって、聴いていて面白くないかと言えば、そうとは言い切れない。Kenji Jammerもそう言っていた。

「おはようございます」から始まる一日
そして「これから」のバンドが安心できる

 では今の状況に憂いはないのだろうか? 当コーナーで何度も、そして色々な方にぶつけてきた意地の悪い質問だ。苦言・進言・提言の類はないのか? 「ありますよ。それはバンドにもガンガン言う。例えば、まずリハーサルに入ってくる時の、人間としての在り方のなさを感じることがあります。今日一日、バンドも音響もホールも、お互い共有するわけですから、そこで『おはようございます』から始めること。少なくともウチのスタッフには必ず言わせてます」。これは事実である。前号の同コーナー冒頭にも書いたとおり、実に気持ちの良い応対をしてくれる。「これはねぇ、昔ね、私がイヤやったのが、昔のライヴハウスの人というのは、ハコに入ったらとにっかく、えっらそうにしてたんですよ(笑)。そうすると誰もが『こうせんとアカンのかなぁ』という気になるでしょ。それが『ライヴハウスたるもの~』という決めごとか?と(笑)。その文化がどこから来たかは解らないけど、バンドとして『何もかも初めて』という子もいるわけでしょう?」。確かに、「モニターって何ですか?」というケースも大いにあり得る。そこでプレッシャーを与えることは、きっと大仁田氏にとっては、白いキャンバスにいきなり黒をブチ撒けるようなことなのだろう。「とにかく偉そうなヤツがいっぱいいたから、ムカついてるところがあって(笑)。今はどこのライヴハウスでもそこまでのことはないでしょうけど、もうちょっとバンドさんに親切でありたいなと思うんです」。バンドが解らないまま、例えば「モニターの返しがもう少し欲しかった…」と言えないままにしたくない。次に繋がらないし、何より可哀相だ。「威圧して、テンパらしちゃうだけで(笑)、リハーサルからテンション下げちゃねぇ? とにかく、言葉だけじゃなく、空気でもヘビに睨まれたカエルみたいなことにはしないように、と言っています」。その威圧にも対向してこい、という根性論だけで上手く回る世の中でも時代でもない。だから聞かれる前に「モニターの返し、行ってます?」と問い掛けてあげたい。だから店の側から挨拶をする。それなのに、「バンドの挨拶のいかに無いことか…」と、よく耳にする。ライヴハウスを利用する側は反省すべき点であろうし、同店のアプローチが、繰り返すが自ら言葉を投げかける、ということなのだ。

 大仁田氏は続ける。「僕らがいわゆる第二次ベビーブームの世代で、僕たちがもう大人じゃないんですよ、既に。だから子供を怒ることができないし、躾ることもできない。昔は自分のことはさておいても、子供を大事にした。だから殴れたんです。私らでもよぉどつかれましたから。でも私らはもぅ戦後生まれで恵まれた時代に育ってますから、だから大人にも親にもなれていないんです。それが子供を育てるから、どんどん劣化する一途なんだと思います。どこかで直さなイカンのやろけど(笑)」。思わずインタビューが止まってしまった。ここまで自戒を込めて言える人がいるとは。しかもこの世代で。自らが育った頃に足りなかったものがなく、逆に、足りすぎていたから変化を求めたのだと。食べ物もある。だから余裕もある。そして刺激的なものを求めた。無いものを求めた先に刺激があったのではない、と。「今思えば、エネルギーが余ってたんでしょうね。戦争があったり、食うに困っていたらそっちにエネルギーは行きますから。学校もあるし、食べたいものも食べれる、テレビもある。もちろん今ほどの至れり尽くせりではないけれどね。でも今を知らない当時の僕らにすればね」。足りないから求める。抑えられるから反発する。それが当たり前だと思っていたが、改めて間逆を突きつけられると、思い付くこともある。「足りない」ことに憧れて、「足りないフリ」を気取っていたのかもしれない。ポーズとしてのハングリー。だからロックは死んでしまったのではないか。

ライヴハウスは怖い場所じゃない
そう言える存在が大切であること

 自店をあまり「京都」という枠組みで考えたくもないという。「日本の音楽」として、日本の若い世代が生むものが、日本以外で通用する日が来れば良いと思う。それでも、地域的な特徴というものはある。それはライヴハウスの側がどう思おうとも、勝手についてくる。これも人間と同じで、環境が違えば特性は生まれてくる。
 それにしても、つまるところは各店の接し方であり、一軒一軒のスタンスを知るしかない。ブッキングマネージャーの中西氏が続けてくれた。「スタッフの多さも、大仁田としては活気に繋がるものと思っているかもしれません。その『スタッフの数やハキハキした応対 』とおっしゃって下さっていることが、評価されているのかもしれません」。実際、ツアーのバンドが「こんなハキハキしたスタッフが、しっかり細かいところまで仕事をされてるのはすごく気持ち良いです。また来たい」と評することもあるという。「悪く言えば、『スタッフばっかり多い』ということでもあるんですが(笑)」。そのあたりはまぁ、やっかみ半分と言ったところだろう。もしくは、昔ながらのシカツメらしいライヴハウスの雰囲気を好んでいるか、どっちかだ。「ライヴハウスって『汚くて狭くてタバコ臭くて』がありな場所ですよね(笑)。むしろそれがロックっぽいみたいなね。そういうのが好きな方もいらっしゃると思うんですが、僕たちは掃除をキッチリして、クリーンなイメージで(笑)」。だが、例えば「どうすればライヴハウスに出れるのか?」という人にとっては、意外と今の時代、その方が合っているかもしれないとも。「高校生なんかだと、ライヴハウス=怖い、という純粋さもあるでしょうし」。
 「甘やかし」か「優しさか」。それは見る者によって違うだろう。問題は、ライヴハウスを提供している側がどう思っているかなのだ。同店はまず後者だと思われる。いや、間違いなく後者だ。親切なのだ。時には説教もする。だから甘やかしではないのである。説教も優しさであり、親切なのだから。「ライヴに出るのが一回目、二回目の人たちも、徐々に『あぁこういうモンなんだなぁ』と解ってもらえていけば嬉しいんです」。

まだまだ発展途上、でも手応え充分
未来の笑顔を想像できるのだから

 人を育てること。「育てる」という言い方が横柄であれば、「手伝う」という言い方でも良い。その方法にはふたつある。上へ上へと伸ばす手伝いをしようとするならば、「引っ張り上げる」か「持ち上げるか」である。釣り針や荒縄を垂らし「掛かるヤツだけ、握り続けるヤツだけついてこい」と言うか、「一切合切、力の限り抱えてすくいあげて、持ち上げてあげる」と言うか。当然、同店は後者。それはまだ新しい歴史がそうさせるというのもあるかもしれないが、立派な性格だと感じられる。「拾得や磔磔で30年ですもんねぇ…。ウチはまだまだ6年ですもんねぇ」と大仁田氏は感慨深げに言うのだが、それでも大御所ライヴハウスの1/5である。100歳と20歳では余裕も違おうが、成人はしていることになる。他のライヴハウスのようなビッグネームではなくとも、徐々にメジャーなバンドとも懇意になりつつある。
 僭越ながら、「VOX HALL」で見せていただいた20年前のタイバンリストを引き合いに出して、ひとつご提案をした次第である。「レベッカ」や「パーソンズ」「バービーボーイズ」「ボウイ」などなど、全盛期を考えれば信じられない動員数のスコアが、あのライヴハウスには残っていた。だから同店でも、今、この瞬間に出演しているバンドのリストは残しておいて下さい、と。いつかきっと「サンボマスター」が来た日のことも思い出すだろう。「あのバンド、コピー対決出てたんや…」「こんな動員数やったんや…」と笑って言える日が来るだろう。バンドはバンドで、きっと「最初来たとき目を疑いましたよ。スタッフが優しいんだもん」と笑っているだろうから。
 もしもその時、ライヴハウスのスタンダードが今と違ったものだとしても、今で言う「古き良き」の硬派なスタイルが、時代が一回転して主流になっていたとしても、スタッフには、笑って挨拶をしていて欲しいと思うのだ。バンドが偉そうなヤツになっていたとしても、いつまでも優しく、親切に。そうあって欲しいと、切に願うのだ。