拾得 1

 悔やまれるかな、「富士オデッセイ」が志半ばで実現を逃した頃、今に繋がる京都ミュージックシーンを支える店が誕生している。そこには、当時の若年層のカルチャーに対する関わり方や考え方が生々しく、そしていきいきとした状態で存在していた。否、今もその店には当時から連綿と受け継がれた血と、環境と、思想が存在している。

 ’70年といえば、まさに「富士オデッセイ」が「開催されるはずだった年」、大阪万博の年である。この年、永観堂の近くに一軒の店ができた。二階建ての民家を利用した喫茶店は、外側と業態だけを見たならば、今なら「町家を改装した~」というような、三流ライターの紹介で片づいてしまうものかもしれない。だがその中身は少々珍しいものだった。もっとも、今から思えば「ロック喫茶」という業態は、世代によっては時に懐かしく、時に新鮮な店になるかもしれない。哲学の道の外れにできた、その店の名は「賁(ふん)」。

 「最初から1年半ぐらいしか続けるつもりはなかったんですけどね」と述懐するのが、後に「拾得」をオープンさせるテリー氏だ。故あってその店をしばらく(予定的には期間限定で)預かる身となった。面白いのはその内装。ロック喫茶と言うからにはロックをBGMに流すものだが、近隣への迷惑を鑑みて、ピンクフロイドやレッドツェッペリンの音源は、直接壁に這わしたラインからぶら下がったヘッドホンで聴く。その数およそ20個。昨今のCD視聴コーナー併設の喫茶店みたいなものだ。「店の中で音を出して流している音はシタールだったりするんですね(笑)」と言うことは、ヘッドホンをして派手なロックを聴きながら懸命に頭を振っている者もいれば、一人静かにシタールの音に身を任せる者もいたというのだ。「胡座をかいて聴いているヘッドホン組に、シタール組が引っかかって倒れ込んでしまう人がいたり(笑)」。テリー氏は屈託なく当時を笑いながら語っている。

  それだけでもなかなかに客層のバリエーションに富んだ、というか極端な店だったのでは、と想像できるが、「そのスタイルもウケたといえばウケたんですね。だからという訳ではないんですが、客層もいろいろ。学生もいたし、老人も、観光客もいた」。ある種異様な雰囲気をどうしても想像してしまうのだが、「簡単に言えばアングラで、ヒッピーの溜まり場みたいな店でした。でも面白い、という評判はありましたが、危険な感じはなかったです」。テリー氏は重ねてこう言うのだ。「皆がニッコリ笑った時代ですから」。それが「ラブ&ピース」の時代なのだ。富士オデッセイの件も含め、これまで’60年代から’70年代のいわゆる「フラワームーブメント」について述べてきたが、実際、それがどのような表情を持っていたのか、それは想像するしかないわけだ。「皆がニッコリ笑った時代」。一言だが、解りやすい解説だ。ウッドストックの成功を見て、「世界は良くなる。新しい価値観をつくる。そう確信していましたから」。誰もがそう思ったのだと。誰もとは? その店に集った客である。政治団体くずれやノンポリ、新宿西口にたむろした、フーテン(テリー氏は「主体的路上生活者(笑)」と訳した)のなれの果て、そして「ヴェトナム戦争の負傷兵の方もいましたね。岩国あたりから流れてきたアメリカ兵で、家族も一緒にいたりね。ダウン症になってた人もいた」。そんな集まりを表して「コミューン」。それは精神的な繋がりを重視する、原始共産制の…、今聞き慣れた言葉では何と言えば良いのだろう、「グループ」や「仲間」のもっと繋がりが強い多人数の単位、「ユニオン」とでも訳すべきか。

特にその負傷兵たちが見据えたものは「宮大工や茶道や拳法といった、学校の教えではない東洋思想だったと思う」と言う。これだ、やはりこれなのだ。当時の世界的なベクトル。木村英輝氏の言葉にもあった「オリエントにはまだ見ぬ新しい世界がある」という思想・憧憬。そこへ旅立つ意味を込めたロックフェスのネーミングが「オデッセイ」だったのだ。

  その「賁」という店の中で生まれたもの。それは「若者文化」というよりも「カウンターカルチャー、リアクションカルチャーだった」という。  予定通り「賁」を期間限定で手放し、「そのコミュニティを使ってやれないか」とテリー氏が考えたのが、拾得である。「使う」というのは「利用する」という意味ではない。引き続きそのカウンターカルチャーの担い手が集える店に出来まいか、と考えたということである。そして’73年、今から30年と少し前、「拾得」は誕生した。今でこそ、「ライブハウス」というイメージが強く、多くのユーザーやオーディエンスにもそう解釈されているが、当時から今まで、店名のサブタイトルは変わらない「コーヒーハウス」である。ロック喫茶の初志は未だ健在だ。店名となった「拾得」とは、後に横山大観らの画題とされた中国は唐時代の人物で、森鴎外の作品「寒山拾得」にも詳しい。

to be continued