PARKER HOUSE ROLL 2

「録音再生機」なんて誰も持ってない時代、
「S&G」のジャンルなんて語らなかった。

 前号で触れた「PIG NOSE」のアイデンティティが「浅川マキ」と彼女に縁のある人々というものだったとして、では同店のバックボーンは何なのだろう。「音楽好き」という自然なスタンスで構えている雰囲気は伝わるのだが、ライヴハウスと呼べるようになったからには、何か色はついていないのだろうか。ブルースか、ジャズか、シャンソンか。
 店主の中島氏が、個人的に「これは良いな」と思った音楽は、中学の時に聴いた「サイモン&ガーファンクル」だった。「もうその頃は解散していたので、リアルタイムではないんやけどね。僕が高校1年生の時にベスト盤が出て、当時、夕方6時からやってたNHKラジオで、アルバム全曲紹介している番組があって、渋谷陽一がパーソナリティで。それを聴いて『素晴らしいッ』と思ってね。少ない小遣いをはたいて買いに行ったわけですよ『S&G』を」。アルバム全曲紹介とは罪な番組もあったものだが、「30何年前はみんな録音再生機なんて持ってないから(笑)。あってもオープンリールのテープレコーダー。買いましたけどね(笑)」という時代のお話しである。「サイモン&ガーファンクル」は何と呼べば良いのか。フォークか、それとも? 「『サイモン&ガーファンクル』としか呼びようがないよね。『ボブ・ディラン』をフォークと呼んでも、それは『風に吹かれて(BLOWIN’ IN THE WIND)』の頃はそう呼んでもいいやろうし、神様みたいに言われてたけど、ミュージシャンは変わっていくものやからね。ただ、ルーツとしてブルースがあったり、トラディショナルなフォークがあったりはするんやろうけどね」。「トラディショナルなフォーク」。こういう言い方をされると非常に解り易い。長く音楽に接していれば、それだけ音楽を説明する方法が適切になる。しかも、身近な言葉を使って解り易く。「『サイモン&ガーファンクル』はそれこそブルースやらロックやらレゲエやらゴスペルやら、色々取り入れた人やから、僕がブルースを知ったのもゴスペルを知ったのも彼らのお陰やし。『ライ・クーダー』に匹敵する、素敵な人たちですよ。ミュージシャンには『ライ・クーダー』の方が評価は高いけど(笑)」。

「生活の半分以上を音楽に費やしてる」って人は、
やっぱり素敵な音を聴かせてくれますから。

 リベラルな発言が続く。「ZAC BARAN」での経歴、音楽ツウの店を引き継いだ決意。では「来るものは拒まず」的な姿勢でライヴをブッキング(と称していいかどうか解らないが)をするのだろうか。「これはちょっとお断りしよう」と思うことはないのだろうか? そこは上手くしたもので、本当のズブの素人がひょっこり現れてもイロハを知らない場合は、一応、ライヴハウスであるから「これだけのレンタルフィーをいただきますけど…」と説明すれば、集客に自信のないものはそれだけで勝手に引いていく。このあたりは「ライヴハウスらしくない」ことが上手く機能しているというと失礼だろうか。少なくとも「小屋」としてはメジャーな存在ではないことが、余計な仕事を減らしてくれているとでも言うべきか。いや、これも失礼にあたるだろうか…。
 「学生時代に軽音楽同好会にいて、40歳~50歳を越えても仕事しながら続けている人と、現役の学生でこれから音楽をやっていこうという人と、基本的には同じです。初めてライヴをしますという若い人も、ずっと続けてるオッチャンも、まぁ、一緒かなと。同時にプロやセミプロでやってる人もいっぱいいて、やっぱりそういう人たちには対応は多少違ってくるんですけども、これはねぇ、それぞれ『どう違うねん!?』と言われると難しいんやけど、『生活の半分以上を音楽に費やしてるな』っていう人がいるじゃないですか。そういう人たちってのは、やっぱり素敵な音を聴かせてくれますから」。これはもう現場に立つ人の感覚的、心情的なものだろう。少なくとも人を見てボッたくる、メジャーなミュージシャンの名前を商売に借りるというような底の浅い話とは、当然ことの本質が違う。「いずれにせよ、『ここでやりたい』っていう人が増えてきているっていうのは嬉しいね。常連の年齢は35歳以上が多いけど(笑)。特にジャズ系の人は多いかな。一番年上は『渋谷毅』さん(ジャズピアニスト・「おかあさんといっしょ」への楽曲提供などでも有名)かな。大きいところは大きいところでやるんやけど、『ちょっとスケジュール空いてるから』的なね。『大阪でやるんやけど、前の日に入るからできひん?』という人も多い。『中島のとこなら30~40人で良いよね?』みたいなね(笑)」。
 現在、ライヴは平均で月に4~5回。多い月で8回ほどになる。「土日が中心になるんやけれども、東京からのゲストやとどうしても平日しかできひんという場合もありますけど。明日も弾き語りのお兄ちゃんが東京から来はりますし」。取材日が月曜日であったから、火曜日である。「KYOTO CLUB METRO」で聞いた、「通常1000人のキャパでやる人が、一本骨休めで、お客さんの近くでやっとこか」というスタンスに、何となく似ている。

山口富士夫のプライベート音源を聴きながら飲む、
正しく注がれた、美しい泡のヱビスビール。

 彼の名前に拘泥するわけではないが、先の「『泉谷しげる』が京都で初めてライヴを行った場所」という噂の真偽を聞いてみた。元を正せば、「PIG NOSE」がまだオープンする前、当時のオーナーの久場氏が円山野外音楽堂で「浅川マキ」「山下洋輔トリオ」「泉谷しげる」らのブッキングを行ったいたらしいが、この場所に彼が来たかどうかは今となっては解らない。が、実現していたとしても不思議ではない。
 取材も落ち着いた頃、一枚のMDを中島氏はデッキに入れた。6年程前に山口富士夫がギターとドラムだけでライヴを行った時の音源だと言う。それも一週間ぐらい前に突然電話がかかってきて「あぁ、いいですよ」という具合で決まったらしい。「今、弦が切れました(笑)」「これは弦の3本目が切れて、続行不可能になりましたね。太い弦を使ってるからテンションが高いことよりも、多分手入れが悪いから(笑)。しかも替えの弦を持ってきてないもんやから、偶然、富士夫ちゃんが来る前の週に来た人から預かりっぱなしのギターがあって、それを使い始めて、今チューニングしてるとこですね。富士夫ちゃんのツレが今頃、弦を買いにいってるとこ(笑)。でも他人のギターでも弾きこなすからね」という実況付きで聴かせてもらった。
 「PARKER HOUSE ROLL」の名義になってからも、山口富士夫をはじめ、金子マリ、ごとうゆうぞう、静澤〈カルメン〉マキら、ロックともブルースとも呼べないが、いっぱしの面子がライヴを行っている。
 「あ、取材になったんかな?(笑)。僕ばっかり飲んでて、申し訳ない。一杯どうです?」。ビールを一杯、御馳走になった。適切な高さに保たれた、実に細かい泡が美しいヱビスビール。持ち上げると泡が一気にわき上がり、コマーシャルのような零れ方をする。泡が消えない、注ぎ方が正しい証拠だ。ビールの一番良い苦みが残る、美味いビールだった。「京都で3番目ぐらいには美味いビールを出してると思うんやけど(笑)」。山口富士夫の独白のような音源を聴きながら、美味いビールを飲む。こんな幸せがあろうか。
 それまで、中島氏が店に流していたのはとあるシャンソンシンガーのアルバムだった。それも「越路吹雪」や「金子由香利」という、それこそスタンダードなシャンソンとは違う、シャンソンと言われなければ解らないような、柔らかい女性ヴォーカルであった。「都雅都雅」の広瀬氏が言っていた、「今のシャンソン歌手は『ひとくくりにシャンソンと言わないで欲しい』という人が増えてる」という言葉を思い出した。「結局ね、世間で言われるシャンソンっていうのは例えば宝塚歌劇団出身の人とか、料理家の平野レミさんとか、おすぎだかピーコだかがちょっとやってるとか、有閑マダムがお遊び的にやってる印象が強いんやね。そういう風に捉えられたくないっていう、20代~30代のシンガーは確かに多いですよ。ジャズバンドと一緒にやってたりとか、もうシャンソンていうかどうかは解らないですけど、違うスタイルでやろうとしている人は多い」。シャンソンと言えば、確かにネットリと絡みつくような、情念的なイメージがある。これだけ立て続けに聞かされると、何となく「シャンソンって、これから流行るの?」という気がしてこなくもない。
 「何というか、みんな微妙にメジャーになりきれない」。みんなとは誰? 「(同店の常連ミュージシャンの)全員(笑)。まぁ本人たちにその気がないのかもしれないけど。渋谷さんなんて特に、ジャズの世界ではムチャクチャ有名やけど、誰もが知っている訳ではないし、その必要もないんやろうね」。小沢健二が流行ってた頃、渋谷毅が彼の後ろでピアノを弾いており、彼とともに紅白歌合戦に出演する話が持ち上がった。ところが大晦日は「新宿ピットイン」で浅川マキとライヴの予定もある。結局浅川マキに「渋谷さん、NHKに出るの?」って聞かれて紅白を蹴ったらしい。

シーンとは所詮、時代の薄切りかもしれない。
その勢いに流されず、音楽の底辺を支え続けている。

  店名は「Charlie Parker」から戴いたものでもあり、と同時に、もしくはそれ以上に同店の名代でもあるメニューの名前でもある。アメリカで出版されたパンのレシピ本の中に「パーカーハウス」という名があった。そこには19世紀から20世紀初頭にかけて、ボストンにあった同名の小さなモーテルの朝食に出されていたものらしい。レシピによるとバターの利いた柔らかいパンだそうだが、同店のものは小麦粉と塩・砂糖・イースト菌だけのオリジナルで、噛み応えがある。パン生地もフィリングも自家製。ルックスはハンバーガーのような料理(写真)がそれだ。飲食店であり、ライヴハウスでもあり、ギャラリーでもある。壁に掛けられたシカゴからニューオーリンズ…、アメリカ各地のブルースマンや、彼らを取りまく人々を写した写真は懇意にしている写真家・打田〈マンペイ〉浩一氏のものだ。
 「プライベートな店かもしれませんね」と中島氏は言うが、利用客は界隈のビジネスマンが多く、よくある常連がいつもたむろしてるという店ではない。そもそも、業種を問われれば迷わずに「飲食店」と答える。「『自家製のピザとサンドイッチとカレーが美味しい』というサブタイトルで、ライヴがない日はヒマな飲み屋ですわ(笑)。お客さんが音楽好きな人ということも特になくて、近所のビジネスマンの方が多い。ときどき京都在住でここでライヴをやってくれる人が、ひょっこり覗いてくれたりするぐらいで」。
 「『最近の若ぇヤツは…』という話をしたくても、ごめんなさい、知りません(笑)。京都のミュージックシーンと言われても、『昔のことなら言えるけど…』という感じ。結局、事情は解らないけどメトロにしろどこにしろ、『何か育て上げるんや!』とか、そういう意気込みは絶対あると思うんやね。例えばその店をステップにして誰かがメジャーになったとか。いわゆる『京都の音楽シーン』。じゃその『シーン』って何や?っていうと、漠然としたものを思い描いてるからね。何か、世の中、音楽は進歩してるけれども『全ての人に音楽が必要か?』っていうとそうでもないわけやし。クラブとか、若い人には必要不可欠なものかもしれないけど、閉塞した空間の中でのことやからね。『街全体が~』というわけじゃない。全共闘、学生運動と言ったって、全ての学生が戦ってたわけじゃないからね。ほとんどの人はノンポリだったんだから」。
 シーンというのは、「時代の薄切り」なのではないだろうか。世の中全体の時間を薄くスライスにしたときに、その断面には何色が多いか。世代によっては、同時代を生きることができなかったからこそ、光り輝いて見える’70年代の、大学生のマインドと力がほとばしっていた時代も、戦っていた人を赤色とすれば、その当時を切り取ったらノンポリの青色だったのかもしれない。その時代を生きていれば、光っているが故に、面積の少ない色が多く見える。そんなものなのかもしれない。
 少々今までの同コーナーとはとは勝手が違う。ただ、こういう誠に穴場なところにくると、音楽をやっている人、続けている人が何と多いことかといつも以上に思うのだ。確かに、音楽は全ての人に不可欠なものではないかもしれない。だが中島氏は「京都在住の人、と限ったことではないかもしれないけど、プロでもないアマでもないっていう、微妙なポジションでやってる人が結構いますやん? 世代を問わず、その人たちをミュージックシーンの底辺とするなら、彼らがいるからこそ世の中、音楽が続いていくんちゃうかなと思うんですけどね」とも思っている。もちろん、氏が自らアピールすることは決してなくとも、その底辺を支えているのが、きっと同店のような存在なのだ。失礼を承知で言えば、同店は「ぎりぎりライヴハウス」なのかもしれない。だが同店ほど立派に機材が揃っておらず、それでも定期的にライヴを行っている飲食店も数多くある。それらの店々とて底辺を支える存在に他ならず、この店は、その高い志の代表格としてあって欲しいし、長く続いて欲しいと思うのだ。