四千年の知恵(その12)
~韓信さん、股くぐりの末路は悲惨だった~ 前回の続き。キリスト暦前201年、韓信さんは楚王の位を取り上げられ、淮陰侯となった。 それから4年、韓信さんは劉邦に拝謁もせずに不貞腐れて暮らしていたのだった。 そうこう […]
~韓信さん、股くぐりの末路は悲惨だった~ 前回の続き。キリスト暦前201年、韓信さんは楚王の位を取り上げられ、淮陰侯となった。 それから4年、韓信さんは劉邦に拝謁もせずに不貞腐れて暮らしていたのだった。 そうこう […]
~韓信の股くぐり~ 漢建国の功労者・韓信は若かりしころは仕事をせずにぶらぶらしていて、あちこちでもらい食いをして生きていた。ただ体だけは大きく、それに剣を下げて見てくれは偉そうだった。 そんな韓信を街の若い衆は […]
~「決められる政治」を実現した政治家の最期は~ 商鞅さんの続き。 商鞅の変法は伝統的な農民の生き方を無理矢理変えるもので、ずいぶん抵抗もあったようだ。 ある時、田舎の長老たちが商鞅のところに面会に来て、政治が厳 […]
~言った事はやる政治家の流儀とは~ 商鞅(しょうおう)という人は、ざっと2400年ほど前、衛の国の出身で、政治家志望なのだが中々自分の才能を認めてもらえない。 ある時、秦の国で人材を求めていると聞き出かけて行く。ふ […]
廻り地蔵で夏にさよなら 京の人は、夏も終わりに近づいた8月22日、23日の両日、地蔵盆(地蔵尊の縁日)のときに、「廻り地蔵(六地蔵めぐり)」と呼び、都の出入り口(街道沿い)六ヶ所に祀られた地蔵菩薩を巡拝する。 800年も […]
~またもや富国強兵の話をする~ 前回に引き続き、懲りずにこの話題である。 斉の宣王(キリスト暦前4世紀末)はやはり人材を集めまくる。学者であればどんどん召し抱えて都には学者街ができた。 都には稷門(しょくもん)という城 […]
~今も生きる富国強兵の伝統~ 富国強兵。 これこそ今の中国も目指している、正に四千年の知恵である。 春秋時代の末期から戦国時代になると、各国間の戦いも日常的になってきて、うかうかしていると国が滅んでしまう。そこ […]