大日本国憲法と天皇
~大日本国憲法は天皇の主権を制限していた~
令和の御代になってもなお相も変わらず「戦前は天皇主権で天皇絶対だった」と言う人がいる。まあ天皇陛下が主権者であったのは事実なのだが、では絶対君主だったかというと、そうではない。戦前の天皇は憲法、つまり大日本国憲法による制限を受けていた。
私が子供の頃の歴史の教科書には帝国憲法の第一條
大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
と第三條
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
のふたつをだけを載せていて、いかにも戦前は絶対君主によって国民が抑圧されていたかのように教わった。
しかし、大日本帝国憲法の条文というのはこのふたつだけではない。この後にある条文を読み進むと全く違う顔が見えてくるのである。
まずは第四條
天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
天皇陛下が日本国の元首であると定めているのだが、ここで文末の「此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」に注目しなければならない。
天皇陛下が国を治めるには大日本国憲法の規定に従わなければならなかった。
絶対君主ではない。憲法の規制を受ける立憲君主だったのである。
さらに第八條では
天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル爲緊急ノ必要ニ由リ帝國議會閉會ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ發ス此ノ勅令ハ次ノ會期ニ於テ帝國議會ニ提出スヘシ若議會ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ將來ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ
と規定されており、分かり易く書くと
(1) 天皇は、公共の安全を保持し、又はその災厄を避けるため、緊急の必要により、帝国議会閉会の場合において、法律に代わる勅令を発する。
(2) この勅令は、次の会期において、帝国議会に提出しなければならない。もし議会において承諾しないとき政府は、将来に向かってその効力を失うことを公布しなければならない。
第一項で天皇は緊急の場合はその事態に即応するために法律に代わる勅令を発することが出来た。これを「法律に関係なく命令できた」と曲解する人もいるが、そんなことが出来たのはあくまでも「緊急の必要」のある場合だけで、しかも帝国議会が閉会中のときだけと、しっかり規制されていたのである。
さらに第二項で、その天皇の勅令はその次に開かれる帝国議会で承諾されなければ効力を失ったのである。
これが絶対君主か?
大日本国憲法は明確に天皇主権よりも帝国議会の意思を優先していたのである。天皇陛下の主権は憲法によって制限されていたのだ。
さらに第九條だが
天皇ハ法律ヲ執行スル爲ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ增進スル爲ニ必要ナル命令ヲ發シ又ハ發セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ變更スルコトヲ得ス
とあり、これも現代語にすると
天皇は法律を執行するために、又は公共の安寧秩序を保持し、及び臣民の幸福を増進するために必要な命令を出し、又は出させる。ただし、命令をもって法律を変更することはできない。
もう説明するまでもなかろう。主権者である天皇陛下の命令であっても法律を変えることは出来なかったのだ。あくまでも立法権は議会にあるということが完璧に保障されていたのである。
これが絶対君主か?
大日本国憲法は天皇の主権を制限していた。天皇陛下の意思は帝国議会の下に置かれていたのである。
日本は戦争に負けて民主主義になったのではない。
戦前も民主主義の仕組みは整っていたのである。
【言っておきたい古都がある・340】