続・元号雑感
~「令和」というのは女性的な響きがする~
新聞でも雑誌でも、新しい元号の「成立過程」が色々と報道されていたが、こんなことをわざわざ知らせなければならないというところに、政府の新元号は「しまった、イマイチだった」という忸怩たる思いが出ているのではないか。
新聞によると総理大臣をやっている安倍晋三氏が当初これにしたいと思ったのは「天翔」であったという。かなりお気に入りだったようで、ひとりで「これにする」とはしゃいでいたかのような記事もあった。
しかし、元号制定のルールとして明治・大正・昭和・平成とイニシャルが同じになるものは除外というのがある。つまり「天翔」ではTなので大正とかぶってしまうのである。にもかかわらず、総理大臣は「これにする」と喜んでいたわけで、中々の小物ぶりを発揮していたことになる。ルールは把握しておかねば駄目だな。
まあ、これも報道によると「天翔」という葬儀屋さんがあるというので立ち消えになったようだ。お気の毒様。
他の元号候補を見ると、確かにどれもイマイチだったとは思う。なので令和が一番マシだったのかもしれない。
「英弘」というのもいい線をいったらしいが、これは人名によく使われるというので外されたとか。
なるほど、世の中に「英弘さん」という男性は沢山するだろう。もしこれが元号になれば日本中の英弘さん、特に大阪の英弘さんは皆イチビルに違いない。私はそう思う。
国の事務方は元号の候補を出す人たちに「皇太子殿下の顔を思い浮かべて考えてください」と助言したそうだが、妥当なアドバイスだと思う。で、「令和」かいな、というのはご愛嬌か。これも総理大臣が気に入ったらしい。
これまた新聞によると、「有識者」に元号の候補を諮ったとき、事務方から各候補に関して「これは人名によく使われます」とか「これは会社名になってます」とかの伝達があったと。しかし「令和」だけはそのような事は言われなかったらしい。それなら「有識者」はいらないのではないか。そのような「お知らせ」があったにもかかわらず、「官僚からの誘導のようなものはなかった」と言わなければならない「有識者」というのも、お気の毒なのかもしれない。
ところで、何で私は「令和」と聞いて「何だかな~」と思ってしまったのだろうか。
落ち着いて反芻してみると、どうも「令和」というのは女性的に感じてしまったようだ。別に女性が悪いわけではない。出典が『万葉集』ということで、ちょっとフィーリング的に柔らかくなっているのが違和感の原因ではないかと思い当たった。
話が脱線してしまうけれど、もし今上陛下の次に即位するのが秋篠宮殿下ではなく愛子内親王になるとすれば、この「令和」という元号もすんなりと受け入れられたかもしれない。私にとってはそれほど女性イメージを喚起する言葉であったのだ。ならばいっそのこと女性天皇も認めて、元号は男性天皇ならば漢籍から取り、女性天皇なら和書から取れば、常にしっくりとくるかもしれない。
まあ、そろそろ令和の喧騒も終りだろうから、私のぼやき漫談もこのへんでお開きにするが、日がたつにつれて段々と「令和でもいいわ」という気になってきたのだから、文化と伝統の力というのは凄いものである。
【言っておきたい古都がある・337】