戦争と映画と(その4)
~第1次世界大戦と日本~
今年は第1次世界大戦の100周年である。新聞などではそこそこの特集記事を見かけたが、あまり大きな話題にはなっていないのではないかな。
そこでこのときの戦争を描いた映画だが、これはもう戦争映画の最高峰である「あれ」しかない。
西部戦線異状なし 1930年 ※昭和15年
監督・ルイス・マイルストン
主演・リュー・エアーズ、ウィリアム・ベイクウェル
84年も前の作品が今でも他の追随をゆるさない戦争映画の傑作である。
戦闘シーンをリアルに描きながら、基本的には反戦のスタンスを保っている。
冒頭、学校で教師の煽動を受けて軍に志願する生徒たちの顔、顔、顔。異様なまでの熱気が発散されている。おちゃらかしの反戦映画は多いが、どれもこれもこのシーンの足元にも及んでいない。
音楽が全然ないというのも凄い。飛び来る砲弾や銃弾の音だけが効果音である。ドキュメンタリー風の画面で迫力も満点。娯楽性とメッセージ性は矛盾しないという好例だろう。
戦闘で足を失った親友のベッドの側で、「君のブーツを僕にくれないか」とねだるところなど、妙にリアルだ。
主人公が休暇で家に帰ると、安全な銃後で能天気に暮らしている大人たちが戦争の現状についてあれやこれやと勇ましいことを語り続ける場面も非常に今日的な感じがする。
ラストシーンでほんの少しだけ音楽が入るが、この使い方も上手い。
ところで、この第1次世界大戦で日本はどのような役割を果たしたのか?
1914年(大正3年)8月23日、日本は日英同盟によりドイツに宣戦布告した。
青島(チンタオ)上陸作戦などが有名であるが、高い評価を受けたのは地中海における護衛任務である。
巡洋艦「明石」と駆逐艦6隻とからなる佐藤皐蔵少将の第二特務艦隊が派遣され輸送と護衛で活躍したが、現地では事実上イギリス軍の指令を受けていた。
348回に亘る任務遂行のうち、34回の戦闘を経験している。
つまり10回に1回の割りで敵と遭遇したということ。しかし、300回以上は無事だったわけだ。
これを多いと見るか少ないと見るか。。。
ちなみに第二特務艦隊はドイツの潜水艦を撃沈させた実績は無い。つまり敵を一隻も沈めていない。
敵を倒すのが任務ではなく、あくまでも輸送の安全を確保するのが仕事だったから無茶な戦闘はしなかったのだろう。
このときの日本の貢献が大きく評価されたのが2回ある。
ひとつは1917年(大正6年)5月、ドイツ潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈みつつあった徴用中のイギリス客船トランシルヴェニア号の乗組員3300人中3000人を救助したこと。
この功績で日本軍人27人にイギリス国王から勲章が授与された。
もうひとつは1918年(大正7年)春のドイツによる大攻勢「カイザーシュラハト」に際し、連合軍は地中海のアレクサンドリア・マルセイユ間で「ビッグ・コンボイ」と呼ばれる大輸送作戦を敢行したが、往復5回の輸送任務をこなし、作戦の中核的役割を果たしたのが第二特務艦隊であった。
もちろん、良いことばかりではなく、1917年の8月にはクレタ沖の東地中海で日本の駆逐艦「榊」がオーストリア潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没。艦長以下59名が死亡した。
なにはともあれ、戦前の日本は軍国主義だとなじられる割には、実際の世界戦争では後方支援でこそ大きな活躍をしているのが日本である。
第1次世界大戦と日本とのかかわりで最もユニークなエピソードは、青島(チンタオ)で日本軍の捕虜になったドイツ兵が、連れてこられた日本の捕虜収容所(坂東俘虜収容所)でベートーヴェンの交響曲9番を演奏したこと。
これがわが国における「第九」の初演であった。
徳島県鳴門市にある坂東俘虜収容所跡は今では「ドイツ村公園」として観光地になっている。私も行った事があるが、ベートーヴェンの交響曲9番が演奏された施設の展示室で交響曲6番が流れていたのが印象的であった。
このエピソードも映画かドラマになっていたはずである。
話が映画から音楽になってしまった。。。
これ以上、横道に逸れてはいけないのでこの辺でお開きにする。
【言っておきたい古都がある・99】
編集部より
突然ですが、次回はこのコラムの連載100回記念です!
読者プレゼントを企画中です。
平成24年6月5日、第1回「あきれカエル? ひっくりカエル? 〜新興宗教だって真面目にやってる〜」から2年余、京都の話題のみならず、国際的、国家的な課題、疑問に挑んできた「言っておきたい古都がある」は、谷口氏の不慮のパソコン不良の時期を除き継続して公開されてきました。
筆者谷口氏、及び読者の皆様に感謝申し上げます。
さて、第100回を記念して谷口氏が主宰する「京都ミステリー紀行」のミニ伏見探訪特別版を企画しております。
内容、応募方法は次週発表いたします。