一期一会のアート(後編)
百聞は一見にしかず
さて、一度見たら次は何時見ることが出来るのか分からないアートの後編である。
どんなレアものでも予告があれば見に行く機会も作れる。しかし中には予告の難しいものもある。そうなると全ては偶然の産物。たまたまいったときにそれがあればラッキーということなのだ。
その一例として佐女牛井(醒ヶ井)を取り上げよう。
西本願寺の斜め向かい、ローソンの隣にあるが、普段は大体殺風景である。
しかし、その季節の旬の時期にたまたま当ると、花が咲いている。これが偶然の出会い。一期一会である。
めったにお目にかかれないのが京都駅の地下街ポルタに登場した路上画。実際には世界の名画の中から何点かが描かれていたのだが、ここではインパクトのあるものを紹介する。プロがクレヨンで描いたものである。クレヨンと言っても小学生や幼稚園児が使うものではなく、プロ仕様の高級品なのだ。
路上画の名のとおり、最初はポルタの広場の床に描かれていた(もちろん直接にではない)が、展示期間の後のほうになると、吊り上げて壁にかけるような形での展示に変わってしまっていた。
路上画を吊り上げては「路上」画にならないではないか。
何故なんだと思ったら、路上画のままでは踏みつける人がたくさんいた由。そらアカンわな。
同じくポルタにお目見えしていた造形アートのひとつもご紹介しておこう。
これ、女性の足のように見えませんか。私には「ちょいエロ」アートに思える。絶対に艶かしい。
さてさて、禅寺の庭といえば枯山水が定番である。
しかし、そこに新たな「一期一会」を加えているお寺がある。
高台寺。
ここのお庭は春秋でその貌を変える。庭師による「新作」の庭になるのだ。
昨年は辰年ということで龍が登場したが、春と秋とで違う龍になっていたというのが芸の細かいところである。
春は木の龍、秋は瓦の龍。
製作中の写真も掲載しておこう。
春の龍は枯山水を水面に見立ててそこをうねるように泳いでいた。
秋の龍はかなりデカイ顔をしていた。
今年の春は「何、これ? 瓦礫か?むと思わせる造形であったが、滝に見立ててあった由。しかも二つ並んだ滝がそれぞれ豊臣秀吉と北政所になっているのだそうである。
向かって左のほうが大きいので、こちらが秀吉とか。
向かって左を男にするのは明治以後の西洋式で、京都では伝統どおり向かって左を男(秀吉)にしてほしかった、というツッコミは控えめにしておこう。
この秋、高台寺のこの庭はどのように変わるのであろうか。まさに一期一会の庭である。興味は尽きない。
【言っておきたい古都がある・60】