バチがあたるぞ!
~天罰を信じる人が増えている!?~
読売新聞が今年の3月から4月にかけて実施した全国世論調査(郵送方式)によると、バチがあたることが「ある」と答えた人が76%にのぼり、前回(昭和39年、面接方式)のときの41%を大きく上回った。特に18歳から29歳までの若者の81%が「ある」と答えており、うっかりすると「迷信を信じる人が増えている」と思ってしまうが、これには注釈が必要のようだ。
國學院大學の石井研士教授(宗教社会学)によれば、「バチがあたる」というより「バチがあたるべきだ」という意識が強まっているのではないかという。
つまり、自分ではどうしようもないことへのイライラ感から、「悪い行いにはバチがあたるべきだ」という感情が高まっているらしい。だから仏教的な道徳観が再評価されたわけではないという。なるほど。
やはり読売新聞が昨年の1月から2月にかけて実施した世論調査では、平成の次の時代に自分の生活水準が「向上する」と答えた人は僅か10%であった。90%の人が将来を悲観しているのである。
私は社会学のことは良く分からないが、将来への悲観は若い世代ほど影響を受け易いそうで、この辺の事情が「バチがあたる」のを信じる理由にもなっているとのこと。
ちなみに年代別で「バチがあたる」と考える人の割合は30歳代と40歳代がともに80%で50歳代が83%、60歳代は74%で70歳以上では63%になっている。年齢が高いほど信じる人が減っているのだ。しかし、この高齢の方々はいわゆる「団塊の世代」ではないのか。この部分だけ見ると単に「信じない人が多い」と思いがちなのだが、前回(昭和39年)の調査では「バチがあたる」と答えた人は20歳代で31%だった。この人たちが現在の70歳以上なのだから、半世紀を経て「バチがあたる」ことを信じる人が倍増したわけである。
これって、凄くないか。
「迷信」なんて信じなかった若者が年齢を重ねることによって信じるようになっていったのである。何か逆のような気がする。
近畿大学の村山綾准教授(社会心理学)によると、これは社会心理学の「公正世界信念」という心理である由。
つまり、
「頑張った人は報われる」
「悪事は必ず罰せられる」
という感覚で、ここから「不公正には罰を」という考えが強くなり、「不公正な社会を作り出した人にはバチがあたるべき」と思うらしい。つまり「バチがあたる」という考え方が受け入れられているのは不公正な社会への不満が現れているということなのだと。
これも「なるほど」と思ってしまう。
ただ、普通、一定程度成功している人は「社会は公正だ」と思うだろうし、社会的・経済的に報われていない人は「社会は不公正だ」と思うだろう。そして報われていない人たちは成功している人のことを「不公正な手段で成功した」と思うこともある。そして「そんな奴らにはバチがあたるべきだ」と考える。
こうなると(もう使い古された言い方だが)「格差社会」が「バチがあたる」という考えを復活させたことになる。
しかし、実体は格差などとは関係なく、成功した人への妬み嫉み僻み(ねたみ、そねみ、ひがみ)が「バチあたり」を蘇らせたのかもしれない。
となると、人間の気持ちのゆとりが無くなってきているのかも。
いや、しかし、「気持ちのゆとり」というのは「懐具合のゆとり」からしか生まれないとも言うので、やっぱり報われていない人たちの怨嗟が「バチがあたるべき」という期待を膨らませているのかな。
(参考資料 令和2年8月13日付読売新聞朝刊「ニュースの門」)
【言っておきたい古都がある・401】
2012年6月5日に第一回「あきれカエル? ひっくりカエル?」から数えて、8年。
本コラムは、連載400回目越えとなりました。ご購読感謝いたします。