神仏は信じなくとも気にはなる
~信心深くはないが宗教的考えは容認する~
前回、「バチがあたる」ことがあると思っている人が増えているという話をしたが、その理由として「頑張った人は報われる。悪事は必ず罰せられる」という考えが強くなっているらしいとも言われる。
ただ、世の中の人の全員が本気でそう思ったらどうなるか?
報われていない人は頑張っていないのだ。
不幸に見舞われた人は悪いことをしていたのだ。
と断定されてしまうのである。
こっちのほうが怖くないか。
今の「バチがあたる」という考えからは宗教性は抜けていて、単に個人の不平不満のはけ口なっているだけだろう。
現在、世界各地で実施されている「第7回世界価値観調査」で、「自分自身が信心深いと思うか」との問いに対し、日本人は「信心深い」が14%で、これは(調査済みの国・地域では)マカオと並んで世界最低である。
ちなみに「信心深くない」は56%であった。
ところが、統計数理研究所の「日本人の国民性調査」では、昭和33年(1958)と平成25年(2013)を比べると「あの世というものを信じる」のが20%⇒40%と倍増している。
さらに、國學院大學が平成20年(2008)に行った世論調査によると
「仏は存在する」と思う人⇒40%
「先祖の霊は存在する」と思う人⇒40%
「神は存在する」と思う人⇒36%
という結果が出ている。
その他にも
「厄年が気になる」⇒47%
「友引の葬式は気になる」⇒40%
「仏滅の結婚式は気になる」⇒39%
「祟りはある」⇒15%
ということで、みんな結構気にしているのだ。まあ、祟りの15%は少ないのかもしれないが、「信心深い人」が14%なのに「祟りを信じる」人が僅か1%とはいえ多いのであるな。
調査の結果わかるのは、みんな神や仏は信じていないのだけれども、「気になる」ということなのだ。「信じていないのに気になる」というのは、結局、信じているのではないのかと思ってしまうのである。
信じていないのではなく、普段は気に留めていないだけではないか。
日本人は決して無宗教ではない。
非宗教的なのである。
それでいいのではないか。
【言っておきたい古都がある・402】
2012年6月5日に第一回「あきれカエル? ひっくりカエル?」から数えて、8年。
本コラムは、連載400回目越えとなりました。ご購読感謝いたします。