嵐電駅名由来(完結編)
~通説・俗説いろいろあるのが地名というもの~
さて、いよいよ嵐電珍名シリーズも最終コーナーに入りました。
本日の停車駅は
⑦鹿王院 ⑧御室 ⑨常盤
⑦鹿王院(ろくおういん)……近くにこの名のお寺がある。紅葉の時、一度訪ねてみると良いお寺。かつてはプラットホームの幅が狭いのが有名だったけど、今はどうかな。
もともとは足利義満が建てた宝幢寺の塔頭だったが、宝幢寺は応仁の乱でなくなり、鹿王院だけが残った。親会社が潰れて子会社が生き残ったようなものだ。
名前の由来は廟を建てる為に藪を切り開いたら白い鹿が出て来たからだというのだが、それなら「白鹿院」でもよかったのではないか。白い鹿なので鹿の王様なのか。そして結局、この話の廟はちゃんと建ったのか? それとも、鹿が現れたので止めたのか?
で、この鹿王院には女性専用の宿坊がある由。別に尼寺ではないと思うのだが。ただ、やはりお寺なのだから「女性専用」なんて即物的な言い方ではなく、「男子禁制」と言ったほうが良いのではないかな。
⑧御室(おむろ)……仁和寺の近くである。今は駅名も「御室仁和寺」になったようでつまらないかも。本来の「御室」とは「皇室やそのゆかりの人たちが住むところ」という意味である。そこから仁和寺の別称になったらしい。
仁和寺といえば宇多天皇。抜擢した菅原道真が左遷されても、宇多上皇は出家して最初の法皇になった。仁和寺金堂の南に僧坊を建てて住み、それを「南御室」と呼んだので御室と呼ばれるようになった。
宇多天皇には政権を藤原氏から皇室へ戻し歴史を変えようという気はなかったようで、むしろ道真が藤原氏から菅原氏へと権力の移行を画策していたと思われる。
ちなみに後白河法皇は歴史が変る(公家から武家へ)のを防ごうとして果たせなかった人。
後醍醐天皇は歴史を変えようとして(武家からもう一度公家へ)失敗した人。
歴代の天皇陛下の中にも権力志向の強かった人はいる。
ところで、有名なオムロンという企業はかつては立石電機といっていたが、この御室に工場があったため「オムロン」というブランドを名乗ることになった。「オムロン」と聞くと何か古代ギリシャの科学者か科学用語のような気がするが、実際は京都の地名であったと。
余談だが、オムロンの故立石孝雄会長は京都市交響楽団(京響)友の会の会長をされていたこともあり、今の京都コンサートホールを建てるときオムロンからもたくさんの寄付を戴いた。大ホールにあるオルガンはオムロンの寄付で購入したものである。私は個人的にこのオルガンを「オムロン君」と呼んでいる。だからプログラムを見て「サン=サーンスの交響曲3番」と書いてあったら「おお、今日はオムロン君活躍だな」と思ってしまうのである。
ちょっと話が横道にそれるが、神社仏閣だけが京都ではない。昼は名所旧跡を見学し、夜は京都コンサートホールに京響の演奏を聴きに行くというプランも如何でしょうか。
⑨常盤(ときわ)……双ヶ丘の南に嵯峨天皇の皇子、源常(みなもとのときわ)の別荘があったから。
あるいは、近くにある源光寺は源義経の母、常盤御前ゆかりなのでこの名があるとも。
ただ、これは源常のほうが正解だろう。もし「常盤」の地名が源義経のお母さんにちなむものなら、この地名は鎌倉時代以後に出たことになる。しかし『古今和歌集』に
もみぢせぬ常磐の山は吹く風の音にや秋を聞きわらるらん
思ひいづる常盤の山の郭公から紅のふり出てぞ鳴く
思ひいづる常葉の山の岩躑躅いはねばこそあれ恋しきものを
といった短歌が収録されていて、平安初期から「常盤」の呼称はあったわけだ。常盤御前には気の毒だが、義経(牛若丸)絡みの話にするのはチト苦しい。むしろ常盤御前の名前がここの地名に由来するのだろう。
さーて、嵐電は今回でおしまい。明日からは何にしようかしらん。
【言っておきたい古都がある・240】