嵐電駅名由来(その2)
~地名にも歴史が宿る~
先週からコラムのネタに詰まって以前にフェイスブックに書いたネタを加筆して使いまわしにしているのだが、今読み返すと自分で書いていながら忘れていることが多々ある。復習の意味でも良かったかもしれない。
京都のありがたいところは観光名所が面で捉えられること。一定のエリアに見所が集まっていて効率的に廻ることができる。そのようなエリアがいつくかあるわけだ。この点、名所が県内のあっちこっちに点在している奈良はお気の毒である。
そこで再び嵐電の沿線巡りである。
本日の停車駅は ④帷子の辻 ⑤有栖川 ⑥車折
④帷子の辻(かたびらのつじ)……これを「きじのつじ」と読んだ人もいるそうだが、「雉子」だと思ったのかな。「雉」という漢字が分かっているのは凄いと思うのだけど。
で、この駅名といえか、地名の由来なのだが、檀林皇后の崩御後、遺体を帷子で包んで運んでいると一陣の風が吹き、ここで帷子が脱げたとも、別の場所で飛ばされた帷子がここでポトリと落ちたとも言われている。
別の説として、北から延びる台地の末端が崖をなして平地に接するところから片平と呼ばれていたとも。なるほど、「片平」が訛って「帷子」になったと。うーむ。いかにもありそう。
余談だが、この駅の近くに蛇塚古墳がある。初めて行った時、私は少し迷ってしまった。結構普通の街中にあったので。結局、コンビニでパンとコーヒーを買ったついでに店員さんに訊いて教えてもらった次第。
⑤有栖川(ありすがわ)……これは駅の西を南北に流れる川の名前である。有栖川宮と関係のある土地かと思ってしまうが、川の名前の方が先なのだ。
外国では偉い人の名前が知名になったりするようだが、日本では地名が先である。歴代天皇も京都の地名が諡号となっている例が多い。
ミステリファンとしてはやはり有栖川有栖を思い浮かべる。ただ、このペンネームはこの駅名からつけたのではなく、有栖川宮の御陵だとのこと。
もう15年近くも前になるのだろうか、有栖川宮の偽者が現れて著名人たちを誑かし、高い会費を取ってホテルのパーティーに呼んだ事件があった。テレビのワイドショーなどで「銀行ATMでお金を引き出させる詐欺に引っ掛かってはいけない」などとしたり顔でコメントしていたような人たちがアッサリ騙されていたが、現代でも「宮様」のブランド価値は高いということか。
面白いのは、この駅は昭和50年(1975)まで「嵯峨野」と言ったこと。
何で? 観光地の嵯峨野と違うん? と誰もが思うだろう。ところが、この駅の開業当時の住所というのが、京都府葛野郡太秦村 大字嵯峨野 字有栖川といって、確かに嵯峨野だったのである。
まあ、この長い地名も中々すさまじい。
しかし、もちろん、嵯峨嵐山の嵯峨野と間違って降りる人がたくさんいたので「有栖川」と改名された。それでも昭和50年までほったらかしだったというのが凄い。
ちなみに、滋賀県に草津という所があるが、ここを群馬県の温泉場の草津と間違えてくる人がいる由。そして嘘か誠か知らねども、昔は駅の近辺に「草津温泉」という銭湯があったとか。ホンマかいな。
⑥車折(くるまざき)……後嵯峨天皇(あるいは亀山天皇とも)行幸の際、車の轅(ながえ)が折れたからこの名になったと。しかし「折れた」のなら「くるまおれ」でも良いではないかと思ってしまう。「裂けるように折れた」のかな。
別の説によると、折れたのではなく、神社の前で牛車が動かなくなった。そこで門前右側の石を「車前(くるまさき)石」と呼んだからとも。この石が牛車の通行を邪魔したということか。
ここにある車折神社は今では芸能の神社として有名で、テレビ番組のヒット祈願も多いので、ひょっとしたら有名芸能人と遭遇できるかもしれない。特に太秦映画村や松竹撮影所とも近いのでなおさらである。
また、玉垣には奉納した有名人の名前が書かれているので、どんな人がいるか自分の目で確かめてみても面白いだろう。
だいたい、あのオレンジ色をした玉垣というのは、概ね直近で修復工事をしたときに寄付金を出した人の名前が書かれるものだが、「おお、こんな人も」という発見があったりする。お暇なときは是非確かめていただきたい。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・239】