お寺の未来(完結編)
~お坊さんだって頑張っている~
さて、「後編」で終らなかった今度のネタであるが、今回で完結させねばならない。
仏教批判の定番は清水寺や金閣・銀閣などが拝観料で儲けているのにお寺というよりテーマパークだとか、坊主が高級車で檀家回りをしているとかいうものだ。
「観光寺院はテーマパークではないのか」というのはまた別の話になってしまうので今回は脇に置いておく。
高級車云々に関しては確かにそんな坊さんもいるが、要するにそういう人たちは目立つのである。坊主がみんな高級車に乗っているわけではない。原チャリで檀家さんを回っている坊さんもいる。いや、絶対に原チャリ組のほうが多い。
一部の目立つ人たちの行為が全体の事実だと思われるのはどの世界でも同じということだろう。
さて、4月18日の夜、知恩院で「ミッドナイト念仏」が行われた。国宝の三門上で夜通し木魚を叩いての念仏会だった。若い参加者が結構多く、これを「仏教の行事ではなくテーマパークのイベント感覚で参加しているだけ」と言ってしまうのはたやすいが、実際に参加してみると宗教の持つオカルト的な部分が垣間見られたようで、口では表現できない「何か」を体感できた人もかなりいると思う。
私は伝統宗教がこのような「イベント」をやるのは(いかがわしい系の)新興宗教に対抗するためにも必要だと考えている。欲を言えば単に木魚叩きにに参加するだけではなく、希望する人には僧侶との対話が出来るようなシステムだともっと良いと思う。悩みを抱える人の救済に少しでも近づけるだろうから。もちろん、ひたすら木魚を叩いて自分自身の内側にある「何か」を吐き出すだけでその「何か」が吹っ切れたのならそれだけで素晴らしい。
この行事、あえて「ミッドナイト」としたところがミソである。伝統仏教がカタカナ語を使うのかなんて言うなかれ。敷居を低くしてみんなが来やすい環境を作るのは大事なのである。
ただ、今年は「ミッドナイト念仏 in 御忌 2014」とも言ったそうで、「2014」なんて、仏教の寺院がキリスト暦を使っていたのには笑ってしまったり、日本的やなあと思ってしまったりする。
一方、浄土真宗のほうでは西本願寺系の龍谷大学大学院の学生僧侶である藤原邦洋さんが「グチコレ」というのをやっている。
文字通り「愚痴を聞く」のである。聞く場所は京都駅や各種施設、街角や焼肉店(?)など。聞くだけだから基本的に批判、分析、提案はしない。これが大事だ。この三つをやってしまうと上から目線になりかねない。愚痴を聞いてほしい人は聞いてもらって共感してもらいたいのだろうから、余計な意見は不要なのだろう。
このグチコレ、1年半で83回やって80代から保育園児(!)まで、1021人から愚痴を聞いた由。
代表者の藤原さんは「僧侶として聞く姿勢を学ぶ機会になる」と言う。
愚痴を聞いてあげているのではない。自分が学ばせてもらっているのだという、この謙虚な態度が正にお坊さんなのである。
この活動を見て、私はカトリックの懺悔聴聞というのも、最初は信者の愚痴を聞いていたのではないかなと思ってしまった。
お坊さん個人の活動に発しているものも紹介しておく。
京都では「ボンクラ」と言えばピンとくる人も多い「ボンズクラブ」の杉若恵亮さん(日蓮宗僧侶)は私も懇意にしていただいているが、毎月最終土曜に北大路の堀北庵で「つきいち坊さんと語ろうかい」を開いている。その他にも八面六臂の活躍は知る人ぞ知る。
「フリースタイルな僧侶たち」は新聞にも何度となく取り上げられているのでご存知の方も多いと思う。
このフリーマガジンを読めば京都や大阪、東京などで若手僧侶がやっている取り組みが紹介されている。
代表の池口龍法さん(浄土宗僧侶)は先ごろ『お寺に行こう』という本を講談社から出しているので一度書店で手に取ってもらえれば幸いである。
このような「有名人」でなくてもこれは「人物」ではないかという坊さんを見つけると嬉しい。
街を歩いていて小さなお寺の門前に掲げてある標語にふと目を留めたとき、思わずニヤッとしてしまうことがある。そのようなものを二つご紹介する。
論より証拠。写真を見ていただこう。
次は判じ物。
こういうところの和尚さんに愚痴を聞いてもらえば気分が爽やかになるかもしれない。
【言っておきたい古都がある・83】