今も昔も女性は○○が良い
~奈良時代も女はグラマーがよかった~
さて、前回、前々回と2回に亘って「奈良時代の天皇は男女が交互に即位するのが原則であった」という話しをして、ちょっと現代のジェンダーフリーにも通じるのではないかというネタであったのだが、ここでもうひとつ、現代にも通じる(これはもう、そのまま通じる)奈良時代の話をしよう。もっとも実はこれ、以前にも別の所で書いているのだが、かなり経っているので繰り返す。俗説を廃して事実を広めるためには何度でも言おう。
今でもグラビア・アイドルでも巨乳全盛のようである。週刊誌を見ると、だいたい「胸大きい系」のグラビアのほうが多いと思う。特に付録のDVDは「巨乳」を売り物にしているように見える。
しかし、この「巨乳がいい」というのは何も現代特有の現象ではない。奈良時代の昔から、女はグラマー、男はイケ面と決まっていたのである。その証拠が『万葉集』巻第九(1738)の高橋虫麿の歌で、どんなのかというと、
胸別の広き我妹 腰細の すがる娘女の
その姿の きらきらしきに
花の如 笑みて立てれば
玉鉾の 道行く人は
己が行く 道は行かずて
呼ばなくに 門に至りぬ
「胸別の広き」というのは「胸が大きい」ということ。
「腰細の」はウエストがキュッと締まっているということだ。
「すがる娘女の」の「すがる」は蜂のことで、蜂のようにお尻が大きいこと。
要するに、胸が大きくウエストが締まってヒップも大きい美人が、「花のようにほほ笑んで立っていると」ですね、道を歩いている男たちは自分の行く方向へは行かずに、呼ばれもしないのにその娘の前にやって来ると。
そしてこの続き。
さし並ぶ 隣の君は
あらかじめ 己妻離れて
乞はなくに 鍵さへ奉る
人皆の かく迷へれば
かほよきに 寄りてそ妹は たはれてありける
どうですか。隣近所の男たちは、自分の嫁さんに「あっち行っとけ」と遠ざけておいて、頼まれもしないのに家の鍵を渡す。さしずめ現代なら、「これ、ぼくのマンションのキー」というところでしょう。
みんなこれほどこの娘の色香に迷っているのに、肝心の娘は、「かほよきに」つまり「イケ面」に寄り添ってキャーキャーとはしゃいでいるわけです。
女はグラマー、男はイケ面。
これが1300年変わらない現実であります。
そこで提言。奈良県のイベントで、これにちなんだ巨乳美人コンテストをやればよい企画になると思うのですが、如何でしょうか?
「万葉の心」にも合致するのではありませんか。
【言っておきたい古都がある・213】