陰陽師の真実(その5)
~超能力の秘密~
安倍晴明が色々な「神通力」を使ったという話は多々ある。
曰く、木の葉を飛ばして蛙を潰した。
曰く、藤原道長が呪詛されたとき、晴明が紙を鳥の形に折って飛ばすと、それが本物の白鷺になって呪詛した陰陽師のところまで飛んでいった。
曰く、花山天皇の退位出家を予言していた。
等々。
もちろん、これらは後の時代の脚色や創作であるが、伝承というのはしばしば文学の形を借りた歴史でもある。つまりその話の根幹を成す部分は史実に基づいているということ。
それでは晴明にはそんな超能力が実際にあったのかというと、まさかそんな事は無い。
前回で記したように安倍晴明は式神と呼ばれた手下を使って情報を集めていた。そしてその情報を整理分類し活用していたのである。
一例を挙げよう。
花山天皇が頭痛に悩まされたとき、晴明が占うと
「吉野の山中で髑髏が岩に挟まっている。それを取り除けば帝のご病気も快癒するであろう」
という卦が出たので、御所の使者が吉野山に行って探すと、確かに髑髏が岩の間に挟まっている。それを取り除いたら天皇の頭痛も治った。
このエピソードは事実の可能性がある。
どういうことかというと、晴明は式神の集めてきた情報で吉野山のその場所で髑髏が岩に挟まっているというのを知っていた。いずれ何かの役に立つかもしれないと、そのネタを温めていたわけである。
そして花山天皇が頭痛になったとき、「よし、このネタを使ってやろう!」と手を叩いたに違いない。
この時大事なのは、晴明は髑髏のある場所をかなり正確に知っていたのだが、「占い」ではその場所はぼかしておいただろうということ。
今と違って京都から奈良の吉野山まで行くのには時間がかかる。そこで髑髏を捜すにもまた時間がかかる。だけど病人は天皇陛下なのだからその間も医者は治療を続けているのである。
本当は医者が治しているのだ。普通の頭痛なら時間を掛ければ医者が治してくれる。わざわざ吉野山まで行かなくても、それぐらいの時間があれば自然に治ったかもしれない。
もっとも、「確かに髑髏がありました。それを取り除きました」という知らせがプラシーボ効果となって頭痛を治すのに一役買ったかもしれない。しかし、実際は医者が治したのである。
それを「晴明が占いで治した」と言いふらすところに安倍晴明のトリックがあった。
言葉を変えて言えば、晴明の超能力の源泉は情報であったと。「情報を制した者が天下を制する」ようなものである。
似たような話は他にもある。
弘法大師空海というのも色々なエピソードで有名だが、嵯峨天皇の皇太子が病気になったとき、空海が手製の地蔵尊を作り、それを安置したお堂でご祈祷をすると皇太子の病気が治ったというのがあり、これだけを聞くと何やらオカルトっぽいが、実はこれにもトリック。
空海は大陸に留学していたが、そのとき学んだのは仏教だけではなく、医学や最新の科学に関する知識も身につけて帰ってきていた。
つまり、本当は薬で治していたのである。
しかしそれでは医者と同じで有難味がない。医者なら病気を治して当たり前である。
そこで空海は「薬による治療プラスご祈祷」というのをやった。そしてこの「ご祈祷」の部分を強調したのである。わざわざ地蔵尊を作り、護摩木を焚いてのパフォーマンスで支配階級の上層部に食い込んで行った。
策士なのだ。
ついでに、「空海手製の地蔵尊」というが、それでは空海が本当に自分でそれを作ったのか、という疑問を持つ人もおられるだろう。
これは中々微妙な問題である。
たとえば、「大坂城は豊臣秀吉が作った」というが、別に秀吉が自分で鋸や鉋を使ったわけではない。実際にそういう道具を使ったのは大工さんである。
だからといって、「大坂城を作ったのは大工さんである」と教科書に書けという奴がいれば馬鹿である。
「この地蔵尊は空海が作った」というのは「大坂城は豊臣秀吉が作った」というのと同じ文脈で理解するべきものだろう。
ただし、最後の仕上げの部分ぐらいは空海がちょこっと手を加えているかもしれないけれど。
何はともあれ、安倍晴明の不思議な力というのも超能力ではなく、合理的な考えに根ざしたものであった。オカルトなどではないのである。
(続く)
【言っておきたい古都がある・122】