陰陽師の真実(その4)
~式神の正体~
さていよいよ式神とは本当はナニモノだったのかという話に移る。
安倍晴明は式神を一条戻り橋の下に隠していた。
知人が晴明の屋敷を訪ねると、人は晴明1人しかいないのに、お茶やお菓子が出てきた。
晴明は式神を自由自在に操っていた。
等々、色々と言い伝えられている。
しかしてその実体は?
答から先に言いましょう。
式神とは被差別階級の人たちであった。
時代によって呼び方は変わる。江戸時代なら穢多・非人、明治になれば新平民とも言われ部落民とも言われた。
別に「式神」というのが被差別階級全体を指す言葉ではなかった。晴明が使っていた「式神」というのは、晴明のために働いていた被差別民だったということ。
晴明は式神を戻り橋の下に隠していた。
そうなるだろう。別に晴明にそういった人たちを差別する気は無くとも、他の家人は嫌がる。だから同じ屋根の下には住めなかった。
人は晴明だけしかいないのにもてなしの用意がされる。
平安時代の貴族や民衆にとって被差別民は「人」のうちには入っていなかった。だから何人いようとその数はゼロである。
これはちょうど「家の中には人は晴明しかいなかったけど、犬は3匹いた」と言うのと同じで、式神=被差別民は「人の数」には含まれないのである。
だから不思議でもなんでもない。被差別民がすべての支度をしてくれていたのだ。
晴明は式神を操っていた。
その通り。安倍晴明はその被差別民たちを「手下」として使っていた。そして、みんな喜んで使われていただろう。何しろ、晴明はそういった人たちを差別することなく、普通の人と同じように接してくれていたから。これは感激だったに違いない。
晴明の「手下」となっていた被差別民=式神たちはあっちこっちに散らばって情報を集めていた。これは意外とやり易かった。
普通の人が誰かが内緒で話をしているのを聞いていれば警戒される。
しかし被差別民ならばそこにいても犬や猫と同じであるから(よほど近くに寄らない限り)誰もほとんど気にしなかった。しかし、基本的に同じ人間であるから言葉は分かる。犬や猫と違って内緒話はちゃんと理解できるのである。
そして「誰と誰がこんな事を言ってました」と晴明に知らせると。
こうして晴明はあらゆる情報を集め、活用していたのであった。
しかし、式神がすぐそばにいながら「見えているのに見えてない」状態なんてあるのだろうか。ちゃんと人間の姿をしているのだから「話を聞かれている」と、少しは警戒してもよさそうである。
ところが、この「見えていても見ていない」というのがあるのだから侮れない。
『宇治拾遺物語』の中に「清徳聖奇特の事」という話がある。
この聖、畑の葱を次から次へと食べつくし、「よく物を食う聖だ」と思った人がご飯を食べさせると、またたくまに一石も食べてしまった。
この噂を聞いた藤原師輔が好奇心からその聖に物を食わせてみようと思って呼び寄せると、何と聖の後から餓鬼や畜生などがたくさんついてきて、次々と物を食っていった。師輔にはそれが「見えた」ので「この聖はただ者ではない」と思ったと。
そう、他の人たちには餓鬼はそこにいてもいないもの。見えていても見えないものだったのである。
ちなみに、この話の結末であるが、散々食べた後で聖と餓鬼たちが帰ったのだが、四条通りの北の道でその餓鬼たちが糞をしまくった。これでもか、と糞をしまくったので人々はその道を「くその小路」と呼ぶようになった。
しかし、時の帝(朱雀天皇か村上天皇のどちらか)がその話を聞き、「それはあんまりだ」というので、その南の通りを「綾小路」と言うから、「綾錦」に掛けて「くその小路」を「錦小路」と改めさせたという。
錦小路は糞小路だったのである。
しばらく錦市場に行き難くなりそうだ。
このように、人間というのは「見たくないものを見ない」という技を持つ。
内緒話をしていた貴族たちには「式神」なんて目に入っていなかった。
だから、しっかり立ち聞きされてしまっていたのである。
こうして晴明は式神を使って情報の収集に努めた。
そしてこれこそが安倍晴明の「神通力」の秘密だったのである。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・121】