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    京都ミステリー紀行

    陰陽師の真実(その13)

    ~あっぱれ、土御門久脩(ひさなが)~

     さて、前回ご紹介したように、安倍晴明の子孫は土御門家となり、応仁の乱に際してはスタコラサッサと京都を逃げ出して、若狭の国で誰が勝つかと模様眺めを続けていた。
     ようやく京都に復帰する目途が立ったのは31代目・土御門久脩のとき。

     久脩は元亀4年(1573)に14歳で陰陽頭になった。他に人がいなかったのだろう。そして天正3年(1575)織田信長より「上鳥羽拾石」の朱印を受けている。僅か拾石の給料か。
     そして2年後、信長より「若狭領知行」の朱印を受けてそれまで住み着いていた若狭の土地の所有権を保証してもらった。ということは。。。

    それまでは勝手に住んでいたのか?

     まあ、何はともあれ、土御門久脩は信長こそ「勝ち馬」と睨んだ訳である。この選択眼は必ずしも間違いだとはいえないだろう。
     ところが、である。

     天正10年(1782)6月2日、久脩は京都の本能寺で信長と会談した。恐らく、豊臣秀吉が担当していた中国攻めに関して意見を交換していたのだと思う。
     ところが、ところが、ところか。。。
    honnouji
     その日の夜、本能寺の変が起こったのであった!

     おい、陰陽師・土御門久脩!

     お前、有難味も何もないぞ!!

     安倍晴明の子孫なら、信長を助けろよ。
     その日の晩が危ないと占いで分からなかったのか?

     まあ、分からなかったのだから信長は死んでしまったのだな。

     ご先祖様・安倍晴明も草葉の陰で嘆いておられるだろう。

     しかし、親分の信長が死んでも子分の久脩は生き残り、今度はちゃっかりと豊臣秀吉に仕えたのである。

    変わり身が早い!

     風見鶏だ。
     本能寺の変は見抜けなかったが、次の覇者は的確に見定めた。
     勝ち馬に乗ったのだな。
     しかし、機を見るに敏な騎手でも落馬することがある。

     文禄2年(1593)尾張国荒地耕作のため全国の陰陽師が集められる。これは豊臣秀次の領地を再検地するためだったらしい。恐らく久脩も活躍の場を与えられたのだろう。
     ところが文禄4年(1595)になると久脩は秀吉の怒りを買って京都から追放されてしまう。一説によると豊臣秀次の失脚に連座したのだとか。

     陰陽師。占いで自分の地位が危ないと分からなかったのか?

     これで又もや若狭に住んで逼塞していたのだが。。。

     慶長5年(1600)再び京都に呼び戻され、今度は徳川家康に仕えて陰陽道宗家と認められ、183石6斗の禄を与えられる。公家昵懇衆のひとりとして家康に仕えるとともに家康、秀忠、家光の将軍宣下(将軍の就任式)、後水尾天皇の即位を祝うための天曹地府祭を執行した。元和7(1621)年に従三位となる。

     信長から貰った拾石に比べればかなりの給料アップであるな。

     後水尾天皇の次、109代明正天皇から120代仁孝天皇まで土御門家が天曹地府祭を執り行っているので、利権はしっかり摑んでいたようだ。
     ちなみに仁孝天皇の次が孝明天皇で、いよいよ明治維新になる。

     こうして土御門久脩は一族の悲願ともいうべき京都への復帰と利権の回復を果たした。
     あっぱれとしか言いようがない。

     しかし、前回も言ったことだが、陰陽師というのは他人の事は分かっても自分の事は分からない。
     これ、江戸時代にはすでに有名になっていたらしく「陰陽師身の上知らず」という諺になっている。もちろん、「医者の不養生」とか「紺屋の白袴」などと同じ意味だ。
     つまり、陰陽師の占いなんていい加減なものだと、江戸時代の人はちゃんと分かっていたのである。
    (来週に続く)
     

    【言っておきたい古都がある・130】

    公家昵懇衆(クゲ ジッコンシュウ)
    後陽成天皇は二条城に勅使を派遣。徳川家康の将軍就任祝賀として馬代黄金三枚、太刀を下賜した。この頃から公家は徳川家に取り入るようになった。彼らは昵懇衆と呼ばれた。

    天曹地府祭(テンソウチフサイ)
    陰陽師が修する重要な祭りの一つ。六道冥官祭,天官地符祭とも呼び,曹は縦の2本棒を1本棒にした特異な画の字〈曺〉を用いる。11世紀ころからまつられ,安倍氏が鎌倉幕府の陰陽道を支配してよりこの祭法は盛んとなった。

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