日本書紀を読んでみた(その3)
~中々凄まじい日本書紀の中身~
さて、『日本書紀』の中から「えげつない話」ばかり抜き出してご紹介しているわけだが、今回は武烈天皇。岩波書店の日本古典文学大系本の『日本書紀』では下巻の14頁であるが、ここに武烈さんの趣味が書いてある。
「人の頭の髪を抜きて、樹の嶺に昇らしむ。樹の本を斬り倒して、昇れる人を落とし死すのを快とす」
おお、マルキド・サドの世界だ!
何と、前回紹介した雄略天皇だけが暴君ではなかったのである。
これだけではなく、続く15頁の記述によると、武烈さんは池の水を流すために堤に通した樋に人を伏せて入らせ、水と一緒に流れて出てきたところを矛で刺し殺して楽しんでいた!
ますますサドだ!!!
さらに何と、人の生爪を剥がした手で山芋を掘らせている。
もっと酷いのは妊婦の腹を裂いて胎児を見ようとしたという。
しかし、ここまで来ると『日本書紀』も語るに落ちたな。
過ぎたるは猶及ばざるが如し、なのである。
どういうことか?
中国の古典『呂氏春秋』に同じ話が載っている。他にも類似の話があって、『日本書紀』にある天皇の暴虐ぶりは古代中国の暴君である桀王や紂王の悪行に基づいて創作されたものではないかという説があり、私はそれが正解だと思う。
同様の話はロシアとオスマントルコの戦争でもあったとされている。つまり「私は見た」という目撃証言はあるのだが、それを証拠立てるものは何もないと。
実は大東亜戦争中に日本軍がやった「悪行」の中にも同じ話がある。そう、定番なのだ。「やった、やった」と言うだけで、いつ、どこで、誰がやったのかは抜けている。プロパガンダなのである。
では、何故『日本書紀』がそんなプロパガンダを載せるのか?
この武烈天皇で仁徳天皇系の天皇は断絶する。その後の皇室は自分たちの正当性をアピールするためにそれまでの天皇の悪行を針小棒大に言いふらしたのではないか。つまり仁徳―武烈の系列は「歴史の負け組」になったのである。
こんな悪いことをしていたから皇位がこっちに移ったんだよと、正に「勝てば官軍、負ければ賊軍」の論理なのである。
(来週も凄い話になるかな?)
【言っておきたい古都がある・423】