日本書紀を読んでみた(その2 )
~ 雄略天皇は悪いだけでなく、女性関係もあった~
さて、今回は雄略天皇の話になるのだが、ご存知の方も多いと思うがこの天皇陛下は中々「荒っぽい」人であった。分かり易く言えば暴君で、私が学生の頃はこの人を取り上げて「天皇も悪いことをしていたのだ」と言い募る人がいた。
ところが、そんなことをいう人たちは口をそろえて「『古事記』や『日本書紀』に書いてあることなど信用できない」とも言っていたわけで、はて、ではその「信用できない」本に書いてある雄略天皇の話をなぜ信用するのか訊いてみたら、これまたみなさんが口をそろえて「屁理屈を言うな」と激怒されたのであった。
まあ、その程度の人たちだったのだろう。
で、『日本書紀』というのは決して天皇について良いことばかりは書いていない。悪い事と言うか、結構リアリズムである。正確には「政治的リアリズム」かもだが。つまり、要するに、「世の中は綺麗ごとだけで動いているのではない」ということを丁寧に書いている。
さて雄略天皇だが、『日本書紀』の「雄略天皇紀」は冒頭、いきなり眉輪王による安康天皇の暗殺から始まっている。中々血生臭いのだな。
この暗殺を受けて雄略さんはまず同母兄の八釣白彦皇子を詰問した。多分「お前がやったんかーっ!」とぶちかましたのだろう。そして八釣白彦皇子を殺してしまった! いやいや、雄略さん、そらアカンのとちゃいまっか。
次にこれまた同母兄の坂合黒彦皇子を詰問、さらに眉輪王を問い詰めて自白を引き出す。そして、これはヤバイと思ったのか、坂合黒彦皇子と眉輪王は逃げ出して円大臣の屋敷に駆け込んだ。もちろん、雄略さんは兵を動員して円大臣の屋敷を包囲する。
こらアカン、と思った円大臣は娘と領地を差し出して降伏を申し出たのだが、雄略さんはそれを認めず、屋敷に火を放ったのでみんな焼け死んでしまった。
さらに安康天皇は市辺押磐皇子に位を譲りたかったらしいが、これに不満な雄略さんは市辺押磐皇子を狩りに誘い出すと、殺害。しかもその死体を切り刻み、馬の飼葉桶に入れて土の中に埋めてしまったという。
雄略さんは自分の兄弟を皆殺しにして即位したのだな。
即位してからも大変である。
かねてより宮中に入れたかった(お妾さんにしたかった?)百済の池津媛が石川楯と密通している(って、普通の恋愛ではないのか?)というので激怒した雄略さんは、この2人を磔にして焼き殺した。
前回紹介した仁徳さんも同じようなことをやっていたが、やはり為政者と女性問題というのは切っても切り離せないものなのかもしれない。
雄略さんの女性関係というと、一夜を共にしただけの女性が子供を産んだので、雄略さんはおかしいと疑った。そこで目大連が
「一宵に幾廻喚ししや」
と訊けば、雄略さんは
「七廻喚しき」
と答えている。
これって、「一晩で何回セックスしましたか」と訊かれて「7回」と答えているのではないのか。目大連さんも「一晩中そんなことしてたら子供もできる」と呆れ返ったわけだな。
昔から「英雄色を好む」と言うが、武闘派の人は女性関係も盛んなのである。
(来週はもっと凄い話になるかも)
【言っておきたい古都がある・422】