昔の映画は面白い(その4)
~チャンバラは終わっても撃ち合いは続く~
キリスト暦で1900年、日本では明治33年の7月10日。ワイオミング州ロックスプリングスで牛泥棒の他殺死体が発見された。同じ年の10月11日、今度はその牛泥棒から牛を買っていた牧場主が小屋を出たとたんに心臓を撃ち抜かれて死んだ。
二つの事件は同一人物の仕業で、犯人の名はトム・ホーン。彼は1人500ドルで牛泥棒殺しを請け負っていたのだった。
1人500ドルで殺す。
どこかで聞いたことがありませんか。
そう、一殺500両の子連れ狼!
同じような話がアメリカでも、しかも実際にあったとは。
子連れ狼の原作者はこれを知っていたのかな。もちろん、トム・ホーンも映画になっている。スティーヴ・マックウィーン主演。ただし作品としては「子連れ狼」の原作ほうが先ですが。
しかしまあ、わが国では文明開化の明治時代も後半に入っているのに、アメリカではまだこんな「西部劇みたいな話」が現実に起きていたのですね。
何はともあれ、日本では「チャンバラの時代」はとっくに終わったというのに、アメリカではまだ「撃ち合いの時代」が続いていたのである。
ちなみに「子連れ狼」は早い段階でアメリカでも売り出された日本のマンガで、設定を真似た西部劇も作られたそうである。要するに、子連れのガンマンの話だったという事か。
マカロニウェスタンでは松葉杖にライフルを仕込んだ男(脇役でした)が出てくるのがあって、これは座頭市の影響を受けているのではないかなと思った次第。
それはそれとして、西部劇(アメリカの時代劇)の名作「黄色いリボン」も1876年という時代設定は日本なら明治9年。わが国で「チャンバラの時代」が終わろうとしているのにアメリカではまだまだ「撃ち合いの時代」が続いていたわけである。
何のことはない、「文明開化」といって明治維新をやって、お手本にするアメリカのほうが日本よりも遅れていた部分があったということではないか。
今も昔も変わらないが、アメリカでもどこの国でもいいのだけれど、「その国はこんなに進んでいる。それにひきかえ日本は……」と言われることが多い。しかしそれがそんなに正しいのか?
昨今のコロちゃん騒動でも「アメリカは迅速に国民に給付金を配った。それにひきかえ日本は……」と言われたが、アメリカはすでに「マイナンバー」に当たるものを全国民に導入している。日本はそこまで行っていない。だから比較する方がおかしい。日本だってマイナンバーを全国民に付けていたらもっと早く給付金を出せただろうが、今回「給付金が遅い」と言っていた人たちはかつて「マイナンバーは国民総背番号制だ」と言って反対していた人と重なるのではないか。
前にも書いたが「グローバル・スタンダード」というのもいい加減なもので、これは正しくは「アメリカン・スタンダード」である。ただ正直にそう言ってしまうと誰も付いて来ないから「グローバル・スタンダード」と言ったわけである。まあ、これこそ見事なアメリカ人の知恵なのだが。
で、その「グローバル・スタンダード」に追従してそれまでの日本のやり方を否定して何か良いことがあったのか。終身雇用を否定して働き方を変えて、将来にわたる身分保障が不安定になったからみんなお金を使いたくても使いにくくなった。そりゃ、ローンで車や家を買っても終身雇用なら払い続けるアテがあったけど、仕事はあっても終身の保証がなければいつ払えなくなるか分からない。だから大きな買い物はしたくても出来ない。結婚もしたくてもし難い。
何故こんなことになったか。
いつまでも「外国はこうだ。それにひきかえ日本は……」なんてことを言い続けているからである。でも今更「外国はこうでも日本はこれでいいのだ」と言ったところで遅いだろう。打開するためには今更の「維新」ではなく、「大化の改新」ならぬ「令和の改新」が必要になる。しかしまあこれはいずれ稿を改めて書く。
話を戻すと、日本がチャンバラを捨てた後もアメリカでは撃ち合いをやっていた。というか、今でもやっている。
アメリカ・インディアンというのは今では「アメリカ先住民」と言わなければならないそうだが、西部劇の中では「インディアン」でいいのだ。映画の中では平和な生活をしている白人の所にインディアンが襲ってくるが、インディアンのほうにしてみれば白人のほうが侵略者である。
有名なインディアンの酋長の名前の「クレージーホース」とか「シッティングブル」とかいうのは白人がつけたかなり差別的な名称ではないか。何といっても「気ちがい馬」に「糞たれ牛」である。西部劇を観て今度このセリフが出てきたら、「ああ、これがアメリカ人だなあ」と思っていただきたい。
こういう楽しみ方も出来るので昔の映画は面白い。
もちろん、映画というのは娯楽である。私は映画に娯楽以外のものは求めない。だから西部劇を観ていてジョン・ウエインがインディアンを次々に倒しても楽しく観ている。それでいいのである。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・390】