昔の映画は面白い(その2)
~昔は映画のタイトルにもセンスがあった~
もうかなり昔の話になるが、外国映画のタイトルを原題をそのままカタカナにするようになった。安易だし、題名を見ただけでは何のことか分らないのがある。もちろん、「カサブランカ」とかはそのままでよいし、「ホワイトクリスマス」とか「マイ・フェア・レディ」もOKである。
でも(もうみんな忘れているかもしれないが)「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」って何のことか分かりますか? 「昔々あるときのアメリカ」としてしまったのではお客さんは来ないと思うが、「かつてアメリカでこんな時があった」というのも長すぎるな。確かに訳すのは難しい。
「リバー・ランズ・スルー・イット」というのもあった。まあ、これだって誰も覚えていないだろうけど。しかし「パイレーツ・オブ・カリビアン」は「カリブの海賊」でいいと思うし。
キャロル・リードの名作「第三の男」も、もし今作られていたら日本のタイトルは平然として「ザ・サードマン」になっていたのではないだろうか。年配の方なら往年のテレビドラマ「ザ・ガードマン」を思い浮かべるだろう。
テレビドラマから映画に進出したものでは「スタートレック」や「ミッション・インポシブル」もテレビの時は「宇宙大作戦」に「スパイ大作戦」だった。まあ確かに、「大作戦」ばかりでも何なのだが。
しかし昔のタイトルの名訳でも「昼下がりの情事」というのは内容を誤解されてしまいそうだ。原題の「午後の愛」が「昼下がりの情事」ですよ。絶対に内容を勘違いして見に行った人たちがいる。
「わが谷は緑なりき」というのは文学的にも優れていると思う。これは間違いなく原題どおりなのだが、昔の映画人には文学の素養があったのか。苦肉の策は「巴里祭」で、これも上手い。原題そのままだと「7月14日」になってしまう。
ボブ・ホープとビング・クロスビーの「珍道中シリーズ」の原題は「Road to ~」だった。普通なら「~への道」とやるだけなのを「アラスカ珍道中」とか「バリ島珍道中」とやったのがセンスである。
余談だが、私のパソコンには intel inside のシールが貼ってある。これはそのまま「インテル内蔵」と訳せばいいのを「インテル入ってる」とやったのがセンス。
映画のタイトルではないけど「刑事コロンボ」で原語の台詞では 「マイワイフ」my wife という、もうこれ以上ないほど当たり前な言葉を「ウチのカミさんが~」とやったのがセンスもセンス、大センス。もしこれを「私の家内が」とかのありきたりの訳にしていたらあのシリーズは果たしてあれだけの人気を呼んだか?
話がタイトルから逸れてしまったが、タイトルの名訳でベストテンに入るのは「俺たちに明日はない」だろう。それと「腰抜け二丁拳銃」もだ。
さて、「荒野の決闘」の原題は「愛しのクレメンタイン」だが、オリジナルだと西部劇とは思ってもらえないだろうな。
この映画、私は最初テレビで「荒野の決闘」のタイトルで観たのだが、祇園会館(懐かしい。今は吉本祇園花月である)がジョン・フォード特集をやったときはちゃんと「愛しのクレメンタイン」になっていた。何となく嬉しかった。
しかし、昔の映画の日本版タイトルの中にもセンスの悪いものもあって、ショーン・コネリーが主演した007シリーズは最初は「ドクター・ノオ」が「007は殺しの番号」で「ロシアより愛をこめて」は「007危機一発」だった。普通は「危機一髪」と書くものだが、「一発」とは何ぞや?
ところで今は昔、祇園会館のジョン・フォード特集で観た他の二本は「わが谷は緑なりき」と「怒りの葡萄」だった。この二作は「なるほど、これがいい映画というものか」というのが実に良く分かった。とにかく退屈で、どちらの作品も途中で3回ほど居眠ったのだが、ストーリーを追うのに何の支障もなかった。ゲージュツだったのである。
しかし、ジョン・フォードが作った「面白い西部劇と退屈な現代劇」というのは、黒澤明が作った「面白い時代劇と退屈な社会派現代劇」と似ている。
で、ここで「来週に続く」なのだが、今回は蛇足を付ける。
映画の日本版タイトルのベストテン。
(1)俺たちに明日はない
(2)腰抜け二丁拳銃
(3)わが谷は緑なりき
(4)昼下がりの情事
(5)現金(げんなま)に手を出すな
(6)邪魔者は殺(け)せ
(7)博士の異常な愛情
(8)暗くなるまで待って
(9)「珍道中」シリーズ
残るひとつだが、私1人で盛り上がっても仕方ないのでね最後のひとつは読者のみなさんのお好きなものを入れてください。^^
【言っておきたい古都がある・388】