昔の拷問(前編)
~昔は拷問にも厳しいルールがあった~
前回と同じく、ツアーの後でお客様にお食事に誘っていただいたなんて役得のあったとき、雑談中に拷問の話題になった。食事中のテーマではないだろうとは思うものの、話の流れでそうなってしまったわけである。
確かに、昔は犯罪者の取り調べで拷問が認められていたのだが、現在のわれわれの常識とその当時の実態とには大きな違いがある。
要するに、時代劇に出てくるような拷問は実際にはほとんど行われていないということ。こういう話を(飲みながら)披露した次第。
まず、拷問というのは平安時代からあったし江戸時代にもあったが、いつの時代でも拷問をするときは上部組織の許可が必要だった。つまり尋問者が勝手にすることは出来なかった。
もちろん、申請すればまず間違いなく許可されたようだが、あまり拷問の申請ばかりしていると「こいつは尋問能力がない」と査定されて、解任や配置転換(事実上の左遷)の理由になり、そう気安く申請できるものでもなかった。
そこで、まず平安時代の拷問だが、杖で叩くというもの。これは拷問の定番として何時の時代にも存在した。
しかし平安時代の拷問のルールでは、1人の容疑者に対して出来る拷問は3回までで、一度拷問にかけた容疑者をもう一度拷問するには20日以上の間を開けなければならなかった。さらに杖で打つ回数は拷問の回数に係わらず総数で200打までと制限されていたのである。
つまり拷問は3回まで許可されても1回目で200発叩いたらそれでその容疑者への拷問はもう出来なかったということ。
拷問には回数で3回、打数で200打、という制限があった。拷問によって容疑者が死ぬのを防ぐためである。
鎌倉時代になると、平安時代のような配慮がされているのかどうか分らないのだが、おおむね踏襲されたと思う。
何故かというと、鎌倉時代でも拷問は杖で打つものだったが、平安時代とは違う制限が設けられていて、どんなものかというと、
証拠が拷問による自白しかない場合、有罪には出来ない。
つまり拷問によって自白を得ても、それを裏付ける証拠を見つけることが出来なければ罪には問えなかった。
結構民主的ですね。
昔は拷問が認められていたから冤罪も多かっただろうと思いがちなのだが意外と逆で、拷問が認められていたからこそ冤罪を防ぐための措置も取られていたのである。
これもまた歴史のパラドックスと言えるだろう。
次回はテレビでお馴染み(?)江戸時代の拷問を取り上げる。
【言っておきたい古都がある・264】