中世トリビア(その5)
~精進どころか肉も食らう~
今回も『沙石集』から面白いエピソードを拾うことにするが、下風といった尾篭な話やいい加減な坊主といった失礼な話からは離れて食べ物の話にしよう。
巻2ノ9より。
病気になった僧のために薬として肉を食べさせる必要があった。ところが肝心の肉が手に入らない。
そのとき、この僧を信じていた女性信者が自分の股(もも)の肉を切ってこの僧に食べさせたら病気が治った。
坊さんでも肉を食べてよかったのである。
ただし、それは「薬」でなくてはならない。
肉を「薬」と称して食べるというのは江戸時代からではなかったのだな。鎌倉時代でもこういう「風習」があったと。まあお酒のことを「般若湯」と言うのと同じなのかもしれない。
江戸期には「ももんじや」という肉料理を出す店(屋台)があったし、ちょっと高級なものは薬屋の二階で食べることが出来た。この「薬屋兼肉料理屋」では牛だけではなく猪、馬、鹿、熊の肉も供していたという。
もちろん、薬だから病気にならなくては口にすることが出来ないわけで、どうしても食べたいときは急に「病気」になったりして。。。
よく「明治になって牛鍋屋が増えた。それまで肉を食べなかった日本人が肉の美味しさを知ったから」ということが言われたりするが、それは間違い。それまではひっそりと食べていたのが、大っぴらに食べるようになっただけ。
ただ、『沙石集』にあるこのエピソードの凄いのは(品物がなかったのかお金がなかったのかは分からないが)肉が手に入らなかったので(熱烈な)信者の女性が自分の股の肉を切って食べさせたこと。
カニバリズムだ!
食人鬼の世界である。
こんなことをしてお釈迦様は怒らないのかな?
お釈迦様は怒るどころか股の肉をそぎ落として苦痛に耐えられなくなったこの女のところに来て薬をつけてくれた。すると苦痛がなくなったのである。
お釈迦様は苦痛を癒してくださったのだ。
となると。。。
仏教というのは必ずしも肉食を禁じてはいない。
こう考えるしかないのではないか。
少なくとも鎌倉時代にはこんな話が受け入れられたのである。
まあ文字通り「身を削って人を助けた」のであるが。
いや、考えてみれば仏教が禁じているのは肉食ではなく殺生ではないか。
肉を食べるためにはその前段階として動物を殺さねばならない。「殺す」ことが悪いから、結果として肉を食べることが出来ないわけだ。
しかし、このエピソードの女性は殺生をしたのではなく、自分の肉を削いで食べさせた。だからOKなのだろう。
そう考えると、魚のお刺身でも
活け造りなら殺生をしてないから大丈夫!
殺生禁断の戒律があっても、これなら食生活の幅が広がりそうだ。
しかし理屈を言えば植物だって生きているのだから食べるというのはその植物を殺すことになる。
絶対に殺してはいけないのなら人間は何も食べられなくなってしまうではないか。
だいたい「食物連鎖」と言われるように、人間に限らず生き物が生きて行くというのは他の生き物の犠牲の上にしか成り立たないのである。
日本の食い物タブーも基本的には「四足」の動物はダメ、ということだったわけで、でもその四足にしても猪や馬鹿(これはバカではない)は食べていたわけで。
制限時速50キロの道路を本当に50キロ以下で走っている車がほとんどないのと同じで、四足の肉は美味いからみんな食べていたのだろうなあ。
しかし、二足の人間の肉を食べるというのは。。。やはりまずいのではないか。
いや、人肉の味が不味いというのではなくて。。。
人食い人種が来て、「これはお薬」と言ってわれわれを食べだしたら、もう対抗の仕様がないかもしれない。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・136】