中世トリビア(その16)
~ちっとも「有難く」ないことども~
今回も『沙石集』からネタを拾う。
巻第8の23。
藤原頼道が平等院を建立したとき、御堂供養の導師が
「この御堂を造ったため地獄に落ちるとは」
と嘆いた。
もちろん、その場にいた者は興醒めになってしまい、何故そんな事を言ったのか理由を問うと、その導師が答えて曰く
「これを建立するのに多くの人が不当に働かされた。その人たちにちゃんと補償をすればすべてめでたく収まるだろう」
そこで労役に借り出された下っ端の人夫にまでちゃんと賃金を払ったと。
その功徳で平等院は大過なく存続しているのだという。
しかし、導師が指摘しなければ誰も働いた人たちに給料を出すつもりはなかったのだな。
これに似た話が西本願寺にある。
ここの天水桶の四隅は天邪鬼が支えている。
この天邪鬼が実は西本願寺を建てる時に強制労働に狩り出された民衆の姿なんだと。
なるほど、言われてみればそのようでもある。
で、この「天邪鬼」さんたちは、労賃を払ってもらえたのだろうか?
時代劇では労働に狩り出される農民はタダ働きのようだが、実際はそうでもなかった。
江戸時代、伊達家が農閑期に土木作業の労働者を募ったとき、1日の報酬として男には米五合と鰊2匹、女には米五合と鰊1匹を支給したという記録がある。そして農家の人も野良仕事のないときに良い稼ぎになると喜んで応募したと。
しかし中世ではお寺を建てるという高尚な計画に際しても、あわよくば労働者をタダで使ってやろうということを考える連中がいたのであった。
『沙石集』にも
「最近の奴は坊主も在家も自分の名誉欲のために堂を建てる」
という嘆きが記されている。
仏教各宗派も組織が巨大になり上層部の坊さんの位が高くなると目線も高くなるようだ。民衆を救うつもりで出来た鎌倉新仏教だが、その民衆を導く人たちが建てるお堂のための労働に狩り出されて民衆が泣かされるのでは、もう神も仏もあったものではない。
で、そんな虚栄心やエゴのために堂宇を立てても意味がないよ、という実例も存在するのである。
八坂の塔といえば、まあ誰でも知っているだろう。人によっては
「何でこんな街中にこんな塔があるのですか?」
と言うが、街中に五重塔があるのではなく、五重塔のあるところが都市開発で街中になったのである。因果関係が逆なのだ。
この八坂の塔、いちおう聖徳太子が建立したとされているが、現在の塔は室町時代、足利義教が再建したものである。
足利義教という人は何かと悪い話ばかり付きまとうが、八坂の塔の再建で功徳を積みたかったのか、それとも単なる名誉欲だったのか、そのあたりのことは判然としないが、『沙石集』の中でも
「仏の報力も衆生の業力をばおさえ給わぬ事なり」
とあって、「仏さんの力でも人間の悪業を全て帳消しには出来ない」と言っている。
そのためかどうかは知らないが、足利義教はを再建した翌年、嘉吉の変で暗殺されたのである。
塔を再建してもあまりご利益はなかったようだな。
お気の毒としか言いようがない。
【言っておきたい古都がある・147】