中世トリビア(その15)
~勝てば官軍の世界~
8月ということで戦争の話題にしようかとも思ったのだが、昨年は「戦争と映画と」というかなり長い連載になってしまい、一昨年は「野末の十字架」という昭和17年に発売されたレコードが事実上の反戦歌だったと指摘し、その前は「まぼろしの京都空襲」であった。
京都空襲に関してはこのコラムの連載を依頼されたときから最初の8月はこのネタにしようと意気込んでいて、書くほうにも気合が入っていたのか、各方面から好評であった。しかもその後、馬町に空襲の事実を記録する石碑まで建立されたので、少しは「まぼろし」がまぼろしではなくなったかなとも感じている。
で、今年は中世の話題を続けている最中なので、例によって『沙石集』からネタを拾ってみると、巻第8ノ17にあった逸話。
ある僧が承久の乱があまりに有名で、みんなが「承久、承久」と話題にするものだから、この「承久」というのが戦争のことだと思い、
「宝治の承久は自害が多かった」
と言ってしまったと。
こういうのは探すと意外にある。
「ランチ」といえば「昼ごはん」のことだが、たいていの洋食屋では「Aランチ」とか「Bランチ」を夜でも出していて、「定食」の意味で使われている。
しかし、訪日外国人観光客が増加し続けているという昨今、欧米人を食事に案内して「今夜のディナーはここのAランチがお薦めです」と言ったら、相手は青目玉を白黒させるかもしれない。
さらに、縁日といえば神社などのお祭のときに使う言葉であり、そのときは人が集まるので境内に露店がたくさん出るわけだが、今は神社仏閣に関係なく、何かのイベントで金魚すくいやらスマートボールを出したりしたらそれを「縁日」と称している。本来は「神仏と何か縁のある日に祭祀を行う」のが縁日で、露店はそれに付随するもののはずなのだが、何時の間にか露店=縁日になってしまった。
誰が最初に「間違った」かは分からないが、たとえ間違いでもそれを使う人が多くなれば「間違い」という認識は消えてしまう。言葉というのはわりと多数決で決まるもので、たとえ誤用でもみんなが使えば「堅いことを言うな」になってしまうのである。「それは違うやろう」と正論を吐く方がなじられる。
このような意味の移動とは別に言葉の使用範囲が広がることもあって、「戦争」というのは本来の意味の他に「交通戦争」とか「受験戦争」とか、わりと軽いタッチでイメージ化されていた。こうなると言葉の重みが軽くなる効果があるな。
さて、このように言葉というのも「勝てば官軍」である。
中世に話を戻すと、天文5年(1536)に「天文法華の乱」というのがあった。
このネーミングだけを聞くと法華衆が乱を起こしたように思うが、実際は比叡山の僧兵が京都に雪崩込んで来て、法華衆と大戦闘を繰り広げたのである。
それなら「比叡山僧兵の乱」ではないかと言いたくなるが、「天文法華の乱」なのである。何せ、僧兵が勝ったから。それだけの理由で。
ちなみに、この乱の正義は法華衆の側にあった。
勝てば官軍なのである。
そう。歴史は勝ち組が作る。それは今も昔も変わらない。
源平の合戦で平家が勝っていたら、平清盛は国内を統治しただけではなく対外貿易も振興し、三十三間堂まで建てた大偉人になっていたはずだ。
幕末の動乱で徳川が勝っていれば、新撰組はテロリストと戦った勇者たちであろう。
第二次世界大戦で枢軸国側が勝っていれば、アメリカによる東京大空襲は非戦闘員を狙って殺した「東京大虐殺」と呼ばれているに違いない。しかも、紙と木で出来ている日本家屋は普通の爆弾では効果が薄いというので焼夷弾を使用したわけである。これなら逆に障子などの紙は直接引火しなくても、熱気で自然に発火点に達してしまい、勝手に燃えてくれるのだ。合理的である。そして熱波に耐えかねた人たちは隅田川に飛び込み溺死した。
焼夷弾を使いながら焼死ではなく溺死を誘発するとは、アメリカの作戦というのは中々ユニークだ。負けていればルーズベルトもトルーマンも戦犯容疑で裁判に掛けられているな。
しかし、勝てば官軍なのである。
歴史は勝ち組が作るのである。
もし日本が勝っていたら?
大東亜戦争はアメリカによるABCDラインの封鎖で始まったことになる。
「バターン死の行進」と呼ばれている事件(正確にはアメリカのプロパガンダ)は僅か300人ほどの日本兵が7万人の捕虜を120キロも移送した大作戦になるだろう。
「南京大虐殺」と呼ばれている事件(正確には中共のプロパガンダ)は中国軍の司令官がひとりだけ夜逃げをしたために生じた「珍事件」になっているに違いない。
これ以上は言うまい。
歴史は勝ち組の都合の良いように作られるのだ。これは古今東西、変わることがない。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・146】