中世トリビア(その13)
~神主も仏を愛でる日本かな~
日本人は大らかである。生まれたら神社でお宮参り、年頃になったらキリスト教の教会で結婚式を挙げ、死んだらお寺でお葬式。一生のうちに三つの宗教をやってしまうのだから。
いや、一生なんて長いスパンで見る必要はない。年末になれば12月24日はクリスマスでキリスト教、大晦日は除夜の鐘で仏教、一夜明ければ初詣で神道と、僅か一週間で三つの宗教を駆け抜けるのだ。
いい加減といえばいい加減だが、このいい加減さは宗教が原因で同胞相打つ悲劇を未然に防いだ日本人の智慧である。
何時頃からこれほど大らかになったのかは判然としないが、このシリーズのネタ本である『沙石集』によれば、鎌倉時代にはすでに大らかさが明らかになっている。否、大らかさというより、役割分担かもしれないが。
そこで巻第7の23である。
ある僧が仏事に代役で行ってくれないかと持ちかけられる。
ひとつは3日の道のりで、お布施は20貫。
もうひとつは1日の道のりで7日間に亘る仏事であり、お布施は1日あたり悪くても5貫、上手く行けば10貫。
言われた僧は二つ目のほうを選んで先方に赴いた。
すると相手は神主であった。しかも金持ちで80歳。死後の冥福を祈るため、生前に仏事をしておく「逆修」を依頼したのであった。
ところが依頼者の神主さんは病気で物も食べられない状態。その息子が、逆修の前に病気回復のための大般若経によるご祈祷を頼んできた。
欲深い僧は「逆修のお布施のほかに大般若経のお布施も取れる」と喜び、「お安いご用です。ここへ来たからには仰せの通りにいたしましょう」と、軽いタッチで引き受けた。
すると息子がまず酒を勧めてくれた。この坊主、お酒は大好きだったのだが、ここで嬉しそうに飲んでは見下されると思い、威厳のある振りをしてお布施をたくさん出させようと、「酒は飲まない」と断ったのである。
そうすると息子が今度は餅を勧めてくれた。するとこの坊主、病床の神主に
「これは般若の法味、不死の良薬である。お食べなさい」
と、その餅を食わせた。
神主は臥しながら合掌して、有難いことだと餅を一口食ったのだが、何とそれが喉に詰まってしまったのである。
これは大変と、みんなで何とか詰まった餅を吐かせようとしたのだが、吐かせることができず、とうとう神主は餅を喉に詰まらせたまま死んでしまった。
もちろん、坊主は逃げた。しかし神主の息子はこの坊さんにそのまま供養させよう、お布施も出そうと思って後を追ったのだが、坊主のほうは人殺しを捕まえようとしているのだと思い、死に物狂いで逃げて帰ったと。
昔から「苦しいときの神頼み」と言うが、鎌倉時代の神主さんというのは自分が死ぬときは仏さんのお世話になろうとしたのだな。しかしそうなると、この神主さんの神社にお参りしてご利益を願った人たちは、これから何を信じればいいのだろう?
私はこのあたりのことは役割分担が出来ていたのだろうと思う。
現世の利益は神社、死んだ後のことは仏教。
日本の神様は人が死んだ後のことには関与しない。死んだら後は仏様の担当である。
誰がこんなことを決めたのか?
日本人が選んだのである。
商売繁盛の家内安全も神様の担当である。それなら死んでからも神様で良いではないかと思うのだが、どうも日本の神様が用意している死後の世界というのはあまりイメージが良くない。「黄泉の国」なんて、なんか暗いイメージがあるし。
それに対して仏教は明るいというか、希望があるのではありませんか。そりゃあ、地獄というのもありますが、同じように極楽というのもイメージがはっきりしている。「死んだら成仏させたげるで~」とか「死んだら極楽へ行かせたげるで~」とか、「心配御無用」的なものがあるのではないか。
そう、生きているうちの商売繁盛とか家内安全とか無病息災とかは抹香臭いお寺よりもカラッと明るい神社でお願いする。だいたい、仏様に大願成就とかお願いしても、「その根拠はどの仏典にあるか」なんて言われたらお願いするほうも困るし。
それに対して死んでからのことは鬱陶しい黄泉の国より、「天女もいるぞ」というような仏教にお願いする。
めでたし、めでたし。かくして神様と仏様は共存できた。
しかもこれは神仏が談合をして縄張りを決めたのではなく、民衆の側から選んだというべきだろう。だから今でも続いているのである。
最初に書いた日本人の大らかさなのだが、人によっては「いい加減」とか「曖昧」とか「無神経」とか言うこの大らかさをもっと広めてはどうか。
キリスト教の人たちやイスラム教の人たちも、われわれと同じぐらい「いい加減」だったら、世界はもっと平和になっているぞ。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・144】