松尾芭蕉とお酒(その6)
~月と酒とは出会いもの~
前回の最後に紹介した芭蕉の七七のほうの句だが、
「月ともみじを酒の乞食」
とあるように、芭蕉は「乞食の翁」とも言っていたらしい。そりゃそうだろう。
有力な弟子からプレゼントをいっぱいもらっているのだもの、少しは照れて自虐的なことも言わなければ後ろ指を差されるだろう。
「たはれて君と酒買いに行く」
は分かり易い。芭蕉先生、お酒を買いに行くのが楽しくてしょうがなかったのだ。
「月暮るるまで汲む桃の酒」
芭蕉が伏見にやって来た時に「わが衣に伏見の桃の滴せよ」という句を作っている。そこから取った「桃の滴」というお酒もある。
「夢さえ酒に二日酔いする」
起きているときだけではない。寝ているときもやはり酒。
「酔うてまた寝るこの橋の上」
まあ現代人にもこんな人はいる。今度こんなことをしてしまったら、自分は松尾芭蕉の境地に入ったと思っておこう。多少は慰めになるだろう。
上記の作品には「月」が2つ出てくるが、芭蕉がこよなく愛したのは月である由。
「とてもまぎれたる月影の、かべの破れより木の間がくれにさし入りて(中略)まことにかなしき秋の心ここに尽せり」(更級紀行)
ここで芭蕉が「いでや月のあるじに酒振るまわん」と言えば「さかづき持ち出でたり」というわけで、しっかりお酒を飲んでいる。
「盃のまわる間おそき月いでて」
うーむ。「月が奇麗だから酒を飲もう」ではなく、酒を飲んでいればそのうち月が出てくるだろうと。これって月見酒になるのかな?
そう。月見酒という言葉があるように、月と酒とは出会いものなのである。
出会いものとは、芋棒、茄子鰊、鯛蕪、鰤大根、くじ素麺、などなど相性の良い二つの食材を合わせること。月は食材ではないが、比喩的な意味でお酒とは出会いもの、つまり相性が良いと。月を見ながらお酒を飲むと、「幸せだなあ~」という気分になれるわけである。
芭蕉先生、やはりお酒を愛していたのだ。
さて、月と言えば中秋の名月。秋は九月。菊の節句で一句。
「草の戸や日暮れてくれし菊の酒」
「盃や山路の菊と是を干す」
「桃の酒」もあれば「菊の酒」もあるのだが、盃に花びらでも浮かべていたのでしょうかねえ。
有名な『奥の細道』の最後の方でも「あるじに酒すすめられて」飲んだり、法華寺というお寺で「ここに茶を飲み酒をあたためて、夕暮れのさびしさ感に堪えたり」と、ちゃんと酒が出てきますね。
ところが、月はあっても酒がないとなると
「月に坐しては樽の空しきをかこち、枕によりては薄きふすまを愁う」(寒夜の辞)
というわびしさを出している。
ここまで来ると「酒は涙かため息か」の境地かもしれない。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・261】