松尾芭蕉とお酒(その3)
~芸術家はやはり酒を好む~
前回までに紹介してきたように、やはり酒も飲めないようでは芸術家とはいえないのか、松尾芭蕉にもお酒にまつわる作品が多々ある。
「酒飲めばいとど寝られね夜の雪」
芭蕉という人は自分でも書いている様に、「ものぐさで人と会うのも面倒臭く、他人と交流することもあまりないし誰かを家に招くこともない。しかし月の夜や雪の朝には友が恋しくなるものだ。黙って一人で酒を飲む。自らの心に問いかけ心に答える。庵の戸をあけて雪を眺め、盃を片手に筆を取って閃きを書き留めてはまた筆を置く。こういうときは気持ちが高揚してくるものである」という境地の人であった。
しかし、これをそのまま信じるわけにはいかない。だって、過去2回の記事で紹介したように、豪商に酒や肴をたかっているのだから。旅に出たときはその地方の弟子の家に厄介になっている、ということはタダで泊めて貰った上に食事まで出してもらっているということ。訪ねたい史跡の場所が分からない時は近くの人に気安く尋ねている。他人とあまり交流しない人がこんなことは出来ないと思う。
もちろん、普段は交流しないのだが、自分の都合のいい時だけは厚かましく何かを要求したと考えることも出来るわけで、これぞ大芸術家かな。
「をだまきのへそくりかねて酒かはん」
「へそくりかねて」の解釈が微妙である。
「お金でへそくりをする代わりにお酒を買い置きした」とも考えられる。
しかし私はもっと凝った考え方を採用しようと思う。
これは「へそくり」と「くりかねる」を引っ掛けているのではないかと。
「くりかねる」は「繰りかねる」で、「~しかねる」と同じく「できない」の婉曲表現。「お答えしかねます」と同じですね。つまり「へそくりが出来ない」と考える。
「をだまき」は中が空洞になった麻の玉だが「繰り返す」を導く詞でもある。
つまり芭蕉は、「当たり前なら生活のことも考えてお金はへそくりにしておくべきなのだが、つい酒を買ってしまった」と。
こっちの方が面白いでしょ。まあ正しいかどうかは分かりませんが。
それでも「へそくり」もなければ酒は買えません。
「たのむぞよ寝酒なき夜の古紙子」
「紙子」というのは紙(もちろん和紙です)を揉んで作った保温用の上着のこと。つまりこの句の内容は
「寒い夜なので本当は寝酒をキュッと引っ掛けて寝たいのだが、肝心の酒がない。仕方がないので古い紙子を着て寝ることにする」
お酒がないから寂しいなあ~、という境地が詠まれていますね。
やっぱり芸術家には酒が必要かな。
酒も飲めねば芸術家ではない。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・258】