最後に三つの歌
~神も仏も妖怪も全て文化である~
さて、およそ7年近くに亘り続けさせてもらったこの連載も、ついに最終回である。京都CFの更新が終了するのに伴うものだが、今回444回目という4(死)が三つ重なる切りの良い所で締め括ることにする。
とは言っても、何か特別なことを述べるわけではなく、今まで言ってきたことの総括をすれば、要するに
ということなのだ。
それらは迷信ではない。人間による創作物である。
どういうことか。
例えば今の我々は雷というものがどうして起こるのかちゃんと学校で習う。しかし昔の人はそんな科学的なことは知らない。ましてや高い建物などない昔の町や村で稲妻が光ったら恐怖である。特に得体の知れないものに対する恐怖は最も大きく、これが際限なく膨らみ行きつくところまで行ってしまうと、そこに待っているものは発狂だ。
そこで安心感を得るために「得体の知れないもの」を「得体の知れたもの」にしてしまう必要があった。そこで「雷様というのはこんな奴だ」という絵が描かれたのだ。
そんなものは嘘である。しかし嘘で良いのだ。嘘でも何でも構わない。「これはこんなものなんだよ」と言ってもらえることによって安心できるのだ。それが必要だったのである。
そんなものは人間の創作なのだが、それを必要とする人間の心理があった。
幽霊も妖怪も人間が造った。
しかし人間が造ったものであるからこそ、幽霊や妖怪は文化になるのである。
これを突き詰めれば、神も仏も人間が造ったことになるわけだ。
それを求める人間の心理が「神」や「仏」を生み出したのである。
さて、そろそろ締め括ろう。と言っても別に大層なことを言うつもりではない。
最後に三つの歌を掲げてフィナーレにしたい。
ご唱和いただければ幸いである。
「日本の幽霊さん」
(「カモメの水兵さん」のメロディでどうぞ)
日本の幽霊さん
足なし幽霊さん
蒼い顔、凄い顔、怖い顔
闇にゆらゆらゆれている
「悪霊の歌」
(「浦島太郎の歌」のメロディでどうぞ)
むかしむかし悪霊は
夜中になると目を醒まし
京都の町に出てくれば
身の毛もよだつ恐ろしさ
「墓場の光」
(「蛍の光」のメロディでどうぞ)
墓場の光青白く
さまよう月日かさねつつ
いつしか骨も朽ち果てて
闇夜の奥へ消えてゆく
みなさん、さようなら~、さようなら~。
(拍手、拍手、拍手 👏👏👏)
~アンコール~
また逢う日まで~
逢える~時まで~