京都の洋食(その11)
~ビーフシチューと肉じゃが伝説~
ビーフシチューも洋食屋さんの定番である。
日本では、明治初期には既に洋食レストランのメニューに取り入れられていた。明治になって急に広まったのは牛鍋だけではない。
しかし、前にも書いたが江戸時代の日本人が肉を食べなかったというのは嘘。結構食べていた。
牛鍋からの延長線上のものとしてビーフシチューが早くから洋食屋さんのメニューにあったというのは頷ける。
しかし、ビーフシチューに関して特筆しておかなければならないのは、明治初期に英国留学した海軍軍人の東郷平八郎が、ヨーロッパで味わったビーフシチューを作るよう部下に命じて出来たものが肉じゃがである、という説。
これは舞鶴こそが肉じゃが発祥の地であるとする舞鶴市教育委員会の公式見解だな。
やった! 舞鶴市は京都府ですので、ようやくこの「京都の洋食」というタイトルに絡んできた! ように思えるのだが。
私はあえて違う説を提唱する。
肉じゃがはビーフシチューではなく牛鍋、すき焼きから派生したのではないか。
家庭では中々すき焼きは食べられないのでその簡易版として肉じゃがが生れた。
だいたい前にも書いたかもしれないが、京都では肉じゃがと言えば牛肉を使うが、東京では豚肉である。
何の注釈もなく「肉」といえば京都では牛で東京では豚なのだ。
もし舞鶴が起源ならば東京でも肉じゃがは牛肉が定番になっていても良いのではないか。特に大元がビーフシチューというのであればなおさらである。
まあ、東京では「肉」とは「豚肉」のことだから、発祥の地では牛肉でも東京では自動的に豚肉になってしまったという考え方もある。しかし「ビーフシチューから派生したのが肉じゃが」ならば、やはり大元の「ビーフ」に引っ張られて東京の肉じゃがも牛肉を使っているのが自然ではなかろうか。
「定説」に従えば、明治11年(1878)東郷平八郎が留学先で食べたビーフシチューの味を非常に気に入り、日本へ帰国後、艦上食として作らせようとした。しかし、ワインもドミグラスソースも無く、そもそも命じられた料理長はビーフシチューなど知らず、東郷の話からイメージして醤油と砂糖を使って作ったのが始まりと言われている。
しかし、当時の日本では既にビーフシチューがすでに洋食屋での一般的メニューになっていた。
「ワインもドミグラスソースも無く」なんて有り得ないのである。
「そもそも命じられた料理長はビーフシチューなど知らず」もおかしい。知ってたはずなんですよ。「海軍カレー」とか、洋食は海軍のメニューになっていたのだから。それとも、カレーが海軍のメニューに載るのはもっと後なのかな?
また、牛肉を醤油と砂糖で煮るのは牛鍋や牛肉の大和煮と同様の手法であることなどから、この「肉じゃか東郷平八郎起源説」は脚色されたものとするのが妥当ではないか。
京都(京都府だが)の舞鶴の皆さんには申し訳ないが、ビーフシチューと肉じゃがの間には何の関係もないというのが真相であろう。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・321】