暦は当たる。その秘密(その13)
~運気変転の果てに待ち受けていたものは~
さて、暦の運勢は当るのかを昨年1年間ずっと続けたわけだが、必ず「当る」ように書かれている暦の文章も完全ではなく、やはり外れることもあるのを前回で「立証」した。否、してしまった。盛運の年の吉運の月でも大はずれに外れることがある。まあ、当たり前かもしれないが。
で、9月の月末、私はまたもや自転車のパンクに見舞われた。果たしてこれは偶然なのか、それとも誰かがやつているのか。謎は深まるばかりである。
そこで昨年10月の私の運勢は「中運」であった。ご託宣に曰く
「運気は変転の要素を含み、過信は禁物。無理せず真摯な態度で正道を進めば憂いは無い。見栄や競争心からの贅は慎み、出費は締め加減で」
とあった。
冒頭は9月にこそあてはまるのではないのか。私の運気は前倒しで訪れたのかもしれない。
中盤はこれまた、いつものとおり、ありきたりの一般論。最後も一般論なのだが、「出費は締め加減で」というアドバイスの付いているのが新機軸である。まあこれも年末になると何かと物入りだから金銭的な余裕を残しておけ、という事なのかもしれない。
では、昨年10月の私にはどのような「運気の変転」があったのか。振り返ってみよう。
10月1日。午後のツアーで六波羅蜜寺に行ったら閉門時間ギリギリ。まさに閉まろうとしている門から走り出る。お寺の人も笑っていた。で、次の幽霊子育て飴のお店は滑り込みアウトで閉まっていた。
これが「運気の変転」なのだろうか?
10月4日。ある代理店からの手数料の請求書を開けたら、誰とも知らぬ占い師への請求書が出た。こんな間違いもあるのか。すぐに連絡して再送してもらう。担当さんも恐縮していた。
10月5日。いつものように近鉄に乗って京都駅に向かうと、私が立った目の前の優先座席に喪服を着たカール・ベームそっくりのオジサンが座っていた。
(注)カール・ベーム 往年の名指揮者。ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」(全曲)という名盤を残す。
この日のツアーの途中で折りたたみの傘を広げたら、骨が1本折れていた。
これも運気の変転か?
10月11日。夜、ビールを買って自転車で帰宅途中、あやうくタクシーと接触しそうになる。間一髪で回避し、転倒も免れたが、何のはずみか自転車のチェーンが外れてしまった。今度はパンクではなかったのだが。。。
こうなると、やはりパンクも全て偶然だったのかという気がしてくる。
翌日、懇意のバイク屋さんに行って直してもらう。思ったより安かったので嬉しかった。しかし、私は春からずっとこのバイク屋さんの売り上げにかなり貢献していると思う。
10月16日。午後の二時間ドラマ編で、最後の梅小路公園まで来たところで大雨。水族館の前まで行かず、公園の入り口で話を纏めてバスに乗る。これも運気の変転か。というより、天気の変転なのだが。
10月17日。朝、某旅行社の人と会うため近鉄に乗って京都駅に行こうとしたら、何と、車両事故のため電車が10分以上遅れているという。これは大幅に遅刻だと慌ててショートメールを送る。しかしその直後、国際会館行きが来た。
おお、近鉄にこだわらなくても竹田駅で地下鉄にすれば良いではないか、と閃き、電車賃がちょっと割高になるがそこには眼を瞑って地下鉄で京都駅に。ほとんど遅刻せずに済んだ。
ところが、相手は私のメールを見て遅くなると思っていたので悠々と朝食のサンドイッチを食べておられた。まさかまさかの私が現れたので大慌てでサンドイッチを平らげるのを見て、「あ、地下鉄で行くというものメールすべきだった」と悟る。ちょっと気の毒だった。私よりも相手のほうが運気の変転になってしまったかもしれない。
夕方、ご飯を炊こうとしたらお米が切れていた。慌てて買いに行く。
10月18日。新たな代理店より電話。私のツアーを扱わして欲しい由。条件がよかったので受け入れる。
10月19日。驚愕。液体洗剤だと思って使っていたのが実は漂白剤であったことが判明。普通に洗濯していて、ちゃんと汚れが落ちていたのだが。
10月21日。午後2時8分。携帯に緊急地震速報が入る。「強い揺れに注意」とあったが、私がいた所は大した揺れではなかった。
10月22日。帰宅すると宅配便の不在票が入っていた。それはいいのだが、何と上部に「301谷口様」と書いてあるだけで何時来たとも、誰からの荷物だとも分からないし、どんな荷物かのチェックもない。ドライバー受付のところに貼付もない。問合せ番号も記載がないので自動受付に掛けても受け付けてもらえない。さらに営業所の電話番号も書いていない。
一体全体これは何なんだ?
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・234】