暦は当たる。その秘密(その10)
~開運の中にも悲運あり~
占いはもとより、暦に書かれた運勢というものは本当に当たるのか。この疑問を解決するため、私は去年1年間に亘ってあるお寺の暦に基づき「運」を確かめてみた。既報の通り、運勢というものは当たったのである。しかし、これまた既報の通り、その「当たる」というのは「必ず当たる書き方になっているから」であった。
1年を通して「盛運」であった去年の私は数々の凶事も「盛運」で大過なく乗り切ることができた。まあ、大過はなかったけど小過はあったのだが。
そこで、「凶運」の7月も「盛運」で何とか過ごし、迎えた8月は「開運」であった。運が開けるのである。つまり「凶」は終るということ。そこに書かれていたご託宣に曰く、
「強い発展力を含む快活な運気。最初から飛ばさず後半に掛けて慎重に盛り上げる方針が良さそう。些細な事柄にも真剣に取り組もう」
と記されていた。
で、この連載をずっと読まれて来た方々ならもうお分かりだと思うのだが、これも別にわざわざ言ってもらうほどの事でもない。
「最初から飛ばさず」は「落ち着いてやれ」ということだし、「些細な事柄にも真剣に」にしても一般論である。「後半に掛けて盛り上げよう」というのも、それが「よさそう」だということで、特に根拠のあるアドバイスではないようだ。徹頭徹尾、「あたりまえ」のことしか言っていない。これだから,ほとんどの事にに当てはまり、外れる心配がないのである。そして、「外れる心配がない」というのは「有難味もない」ということ。要するに、こんなことで良いなら、ちょつと小賢しい人なら幾らでも言える。
暦の運勢というのは常識的な一般論だけを言うから必ず当たり、意味の範囲が広いので何事にも自由自在に当てはめて解釈することが出来る。これが的中の秘密なのだ。
しかしながら、例によって、去年の8月、私の運勢はこのご託宣のようになったかどうか、そこを振り返ってみよう。
8月1日。ツアーの帰りにブックオフに寄ったら、DVDのコーナーにピエール・パオロ・パゾリーニ監督作品の3枚セットがエライ安い値段で出ていたので買う。これは得したと思って、早速ひとつ観てみると、何と、何と何と、日本語の字幕なし。輸入物だったのだな。そういうば、よく見るとパッケージにも日本語は一言もなかつた。まあ、どうにかストーリーは追えたが、ちと辛かった。
これが開運か?
否、これが「後半に掛けて慎重に盛り上げる」ということの真意なのか。そう、私はこのDVDを買うに際して「慎重ではなかった」のだ。
8月2日。朝からショートメールが来る。予約のキャンセルだった。
これが開運か?
8月3日。ツアーのお客様からご祝儀が出た。開運だ!
ところが、帰宅してみるとまたもや自転車がパンクしている。懇意のバイク屋さんに持っていくと、今回はかなり大き目の釘を踏んでいた。一連の「疑惑のパンク」とは無関係か。
8月11日。毎年8月は暑いのでお客さんは激減が当たり前なのに、この年は予約問合せのメールが次々と来る。開運だ。それも月の後半にかけて。うむ、暦は当たる。
8月26日。不覚。朝、起きたら9時11分!
大慌てで駅に走る。すると改札のところで携帯が鳴る。留守電に廻すのを忘れていたのだ。すぐに出て、
「すみません、今急いでいますので後ほど私からお電話いたします」
と言うと、相手は、
「後では仕事があって出れない」
と言い、私はもう電車に乗らなければならないのにどうしてくれる、と思っていたら、痛ましや、私の目の前で電車のドアが閉まった。
ええわ。これでゆっくり話を聞いたげるわ。と、一転して、落ち着いた声になって対応。
遅れて京都駅に着いてから、せめてカロリーメイトでも腹に入れようと、駅構内のコンビニに入ったらレジ前はエライ行列。並んでいては集合時間が過ぎてしまう。仕方なしに諦めて、今度は駅ビルのスバコにダッシュ。よし、空いてる、と思ったら、今度はカロリーメイトの置いてある所がわからない。探しても慌てているから見つからない。これならさっきコンビニで並んだほうがましだったか、と観念しかけたらカロリーメイト発見。無事に買って、歩きながら食べる。幸いにも、お客さんはまだ誰も来ていなかった。10時ギリギリになってドドーッとお見えになる。何はともあれ助かった。しかしこれが開運か? しかも「月の後半」だぞ。それとも「慎重」でなかった、とでもいうのか。
かくして「開運」の月でも悲運はあった。
そして9月。私の運勢は「吉運」のはずだったのに、とんでもないことが持ち上がるのである。嗚呼。。。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・231】