• CF!歩み
  • 記事検索
  • aboutus
    京都cf!
    京都の情報発信基地
    • イベントカレンダー
      • イルミネーション
      • 今日あすのイベント
    • ニュースな街ネタ
      • アートイベント
      • グルメイベント
      • ランチ
      • 京菓子・スイーツ
      • 京料理
      • イベント・催事
      • ビジネスニュース
      • 花暦花便り
      • エンタメ
      • ショップ
      • スポーツ
      • 近場でおでかけ
      • 町角のネタ
    • CF的グルメ
      • 京都ラーメン学
      • ラーメン・つけ麺
      • そば・うどん
      • カフェ・コーヒー
      • パン・サンドイッチ
      • 洋食・欧風料理
      • スペイン料理
      • イタリア料理
      • フランス料理
      • ベトナム料理
      • 中華料理
      • 和食
      • 定食・食堂
      • 居酒屋・ダイニングバー
    • 京都人・コラム
      • 五所光一郎:コラム京に癒やされ
      • 五所ブログ:烏丸かわら版
      • 谷口年史:京都ミステリー紀行
      • 木村英輝
      • 高見重光
      • 東郷一重
      • 番外インタビュ
    • 音街京都
      • 京都のライブハウス
      • ClubScene
      • Mojo West Chronicle
      • Mojo History
      • 京都系アーティスト
      • 京都系新人
    • 祭・季節
      • 梅名所 京都
      • 節分祭
      • さくら名所・名木
      • 葵祭
      • 祇園祭
      • 時代祭
      • 洛中洛外観月ポイント
      • 紅葉の特別拝観
      • イルミネーション

    オススメ記事

    • 五山の送り火 今年も縮小で
    • 稲垣尚毅『紡ぐと解く -TSUMUGU TO HODOKU-』
    • くるり「京都音楽博覧会2021」オンライン開催
    • 小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌(レクイエム)
    • 京博「京(みやこ)の国宝—守り伝える日本のたから

    京都ミステリー紀行

    家尊人卑(その6)

    ~江戸時代の婿養子が離婚の場合は?~

     さて、前回で江戸時代の婿どのの肩身が狭かったのは時代劇の中の話だけではなかったというのが分ったが、その婿どのと離婚するに際しての手続きに関して江戸時代から議論があった。

     

     三行半(みくだりはん)を書くのか?

     婿養子だから、養子という身分が解消された時点で自動的に離婚したものと見做されるのか、あるいは養子縁組を解消しただけでは離婚は成立せず、婿どのに三行半を書かせる必要があったのか。
     神沢貞幹の『翁草』巻5には、

    「今も民間には養子不縁ののち、ややもすれば離縁状の出入六かしき事なり」

    とあって意見が分かれていたようである。
     ただし、徳川幕府の法律では明解に決まっていた。

     三行半は必要なし。

    10 婿養子という縁が切れれば自動的に離婚だった。
     それでも三行半というシステムは相当強く認識されていたようで、離婚の場合は婿養子から三行半を貰わなければならないと思っていた人がたくさんいたようである。しかも町人だけではなく武家でも混乱していた。
     文化8年(1811)10月、小笠原相模守家来からの問合せに、

    「娘に婿養子を取り女子が生れましたものの、このたび婿養子を不縁(養子縁組の解消)にしますが、婿養子より娘への離縁状を取らなくても夫婦の離婚は成立するでしょうか」

    というのがあり、これに対して御目付は、

    「婿養子としての縁が切れれば娘との婚姻関係も解消する」

    と明解に回答している。三行半はいらなかった。
     こうなると江戸時代の婿養子は辛いですねえ。普通の旦那さんのように「三行半を叩きつけて女房を追い出してやらァ」なんて威勢のいい事は言えなかった。これだから「小糠三合持ったら養子に行くな」と言われたわけである。糠みそ三合ほどの僅かな財産でもあれば婿養子になんか行くな、と言い伝えられていた。婿養子になんかなったら男の立場がなくなるよと。

     これが男尊女卑ですか?
     婿養子が養子としての縁を切られたら、そのまま奥さんとは離婚だったのである。これだから家尊人卑なのだ。

     ここまでで江戸時代の婿養子がどんなに肩身が狭かったかというのを明らかにしたが、ここで問題になるのは婿養子との間に子供がいる場合、不縁(縁組の解消=離婚)に際してどちらが引き取るのかという件でである。

     これも幕府の法律ではちゃんと決まっていて、寛保年間(1741~1744)以前の制度では「男子は父に、女子は母に」と規定されていた。
     ただし、時代が下がると改正されて、文化11年(1814)5月の御勝手からの伺書に対する松平伊豆守よりの回答に、

    「婿養子を実家へ帰したら子供は男女とも養子が連れ帰ること。ただし、双方話し合いの上で子供を養家に留める場合、男子は養家から他へ養子に出す事は出来ない」

    とある。
     また、『諸例撰要』巻七天保5年(1834)7月問合の附け札に

    「婿養子が離縁されたら生れた子供は養子が連れ帰ることになっているが、双方がよく話し合った上で養家が引き取る事は自由である」

    とも記載されている。
     男尊女卑が基準にされていたわけではない。

     さて、子供を引き取る話が出たところで、いわゆる親権の話題に移るが、ご存知のように江戸時代には(そして明治以降も)「勘当」というのがあって、テレビなんかではお父さんが「感動だ、出て行け!」と言えば息子は家を追い出され、「昔のお父さんは権威があった」などと評されたりもするが、これは事実に反する。

     「勘当だ」と言い渡しただけでは勘当は成立しなかった。

     奉行所に勘当届けというのを提出して、それが受理されて初めて勘当になったのである。勘当帳というのがあって、ここに記載されて勘当が成立した。
     だから「父親の権威」なんて関係なかった。

     勘当は届出制だから、その届けを取り下げれば勘当は解けた。
     お父さんが気を変えて取り下げてくれればそれで良し。
     ではお父さんが亡くなったらどうなるか?

     次の当主、家長にその権利があるのか?
     実はそうではなかった。
     では誰にあったのか?

     答は来週。

    【言っておきたい古都がある・281】

     

    谷口年史

    プロフィール、バックナンバーリスト
    谷口 年史(たにぐち・としふみ)

    Related Posts

    最後に三つの歌

    京都ミステリー紀行 /

    最後に三つの歌

    踏切の自縛霊

    京都ミステリー紀行 /

    踏切の自縛霊

    静原の幽霊

    京都ミステリー紀行 /

    静原の幽霊

    恐怖のアパート・伏見編

    京都ミステリー紀行 /

    恐怖のアパート・伏見編

    イノシシも化けるしカワウソも化ける

    京都ミステリー紀行 /

    イノシシも化けるしカワウソも化ける

    ‹ 家尊人卑(その5) › 家尊人卑(その7)

    季節の特集

    京都さくら散策

    観梅京都2018

    節分
    葵祭特設サイト

    祇園祭

    時代祭



    京都の料理職人


    記事分類

    • ニュースな街ネタ (5,159)
    • 紅葉 (66)
    • イルミネーション (92)
    • 伝統文化・歳時 (685)
    • 京都さくら散策 (230)
    • 祇園祭 (53)
    • 観梅 (34)
    • CF的、京都グルメ (483)
    • 京都ラーメン学 (24)
    • コラム (1,296)
    • 京都サブカル小論 (8)
    • NAKED Eyes (4)
    • REAL FACE (35)

    タグ

    MIHO MUSEUM さくら名木古木 アサヒビール大山崎山荘美術館 アンスティチュ・フランセ関西 ライトアップ 三室戸寺 上賀茂神社 下鴨神社 京都水族館 京都系 京野菜 伏見稲荷大社 八坂神社 北野天満宮 千本釈迦堂 城南宮 壬生寺 大覚寺 嵯峨釈迦堂 平安神宮 平清盛 新風館 日本酒 清水寺 無鄰菴 特別公開 知恩院 神幸祭 節分 紅葉 若冲 葵祭 観梅 豊臣秀吉 還幸祭

    Back to Top

    ClubFame & 京都CF! http://kyotocf.com