家尊人卑(その26)
ついに連載300回を超えました。
今までご愛読ありがとうございます。最終段に伏見ツアープレゼントを案内しています。
~「家」には四つの不文律がある~
誰もそんな制度など作っていないのに「家」というのは存在するようである。だいたい「国家」と言うように、日本という国もひとつの「家」なのである。
今は昔、「世界は一家、人類はみな兄弟」というテレビコマーシャルをやった右翼のオジサン(競艇賭博の胴元だった人)がいたが、「八紘一宇」と言えば日本どころか世界中がひとつの「家」になってしまう。目に見えない日本の「家」とはどんなものなのか。
まず、「家」の性格として今までの連載でどうにか分かっているものを検討してみよう。
①男系の血縁にこだわらない。「家」を維持するために軽いタッチで養子を迎える。男子が優位なのは確かだが、男系男子にこだわってはいないようである。
②「直系」にこだわるらしい。
③何らかの機能を果たす。商家なら今で言う会社としての機能だし、武家なら一族の権益保持だろうか。
④自立している。とにかく「家」というのは独立して頑と存在している。
①について。日本の社会は男尊女卑ではなかったという検証(家尊人卑その5)の中でも述べたが、江戸時代の婿養子は肩身が狭かった。ほとんど種豚状態で、どこが男尊女卑やと言う感じある。
跡継ぎの男子がいなければ娘に養子をもらうのは当たり前。これで「女系になってしまう」なんて誰も言わなかったようだ。
「家」として維持されるべきは、「今の当主からみた血の濃さ」だったと思われる。
婿養子と奥さんの間に生まれた子供は奥さんの家の子供になったから父系制からは外れている。
商家の場合、女の子が生れて喜ぶ事もあった。
男の子だからと自動的に跡継ぎになれば、その子がボンクラだった場合は店が潰れてしまう。しかし女の子なら使用人の中から商才のある物を選んで婿養子にすればよかったからである。
男系にはこだわっていませんね。
重要なのは「家」の持続だった。
不文律その1「家の維持には男女のこだわりはない」
次は「直系」について。
武家でも商家でも軽いタッチで婿養子を迎えて「家」を維持していく。子供が女の子しかいないから親戚の男の子を養子にして跡継ぎにするのではなく、お婿さんを迎え入れる。もし離婚すれば婿さんが追い出される。男尊女卑ではなく、本来の「家」のメンバーの血が重要視されているという事だろう。
つまり今現在の「家」のメンバーの子供なら男でも女でも構わない。「親の血を継いだ子供」が家を維持していく。
あえて「親」とする。「お父さんの血を継ぐ」ではない。だって、お父さんが婿養子だった場合、「他人の血」を継ぐことになってしまいますので。
いや、ひょっとしたら、「親」でも不正確かもしれない。
「家」の血を継いだ子供が「家」を維持していく。男女どちらでもかまわないから祖父母・父母・子・孫・曾孫と直系でつながっていく事。それだけ「血の濃い」方が良いとされる。こう考えた方がいいかもしれない。
不文律その2「家は血の濃さを重視する」
昔から「血は水よりも濃い」と言う。
さて、「家」というのは「③何らかの機能を果たす」となれば「家」としての意思決定を行う必要がある。
で、その決定は多数決よりも満場一致が尊ばれる。
議論を尽くしたうえで多数決を取り、その決定には反対派も従うけれど反対派の意見も代替案として温存しておくのではなく、根回しで意思を統一して「みんなで決めた事」にする。
これが「和の精神」かもしれない。
決定したことが順調に行っているうちは「満場一致の決定」は絶大な力を発揮するが、何か不測の事態が起きて上手くいかなくなると方針の転換が難しい。
平均的判断のみが正当化される傾向が強いので異論は異端とされがちになる。
なので平均に近い人が高く評価されて順応性の高い人が重用される。
根回しの過程でメンバーの大多数が意思決定に関与できるけれど、これまた大多数が自分個人の意見ではなく平均的な意見を推測して言う傾向がある。
こんなわけで決定には潜在的な反対者もいないことにされる。
何かこう、悪い事だらけのようだが、これはネガティヴな面を思いつくがままに書いただけである。
満場一致でみんなが共通の目標や展望を持てば決定した事を熱意を持って実行することが出来る。
で、普通は満場一致型の場合は、さっきも書いたように、上手くいかなくなると方針の転換が難しいはずなのである。
ところが「家社会」の日本では必ずしもそうではない。わりと軽いタッチで方針転換することがある。それもほとんど突然変異的に起きる。
「尊皇攘夷」と言って徳川幕府を倒しておきながら、政権を取ったら「文明開化」と言って平然としている。
「鬼畜米英」と言って戦ったのに、負けたら「民主主義」と言って気にしない。
日本の「家」は「満場一致」で急に変わることがある。
根回しの暇も無いはずなのですが。
不文律その3「家の意思は満場一致で決まるが一貫した原則があるわけではない」
さて、「家」といえばやはり武家が本家本元ではないだろうか。
大名でも旗本でもあるいは鎌倉時代や室町時代の武家でもいいのだが、殿様に仕えている家来にも「家」がある。大きい「家」の下に小さい「家」がある。
で、江戸時代ではどの家であろうと実子も養子もいないままに当主が死ねばその家は断絶であった。
これに異議を唱えた人がいる。
荻生徂徠という儒学者がいた。忠臣蔵の討入り事件で赤穂浪士の切腹を進言した人である。
この人は実子も養子もいない武家が断絶するのに反対して、「養子もいなければ関係者に跡を継がせろ」と主張した。
しかもやむを得ない場合は相続の世代間順序を無視して「伯父に甥の後を継がせても苦しかるまじ」とまで言った。
儒教的原則に反する事を批判していた徂徠が、「家の継続」のためには儒教的原則であるはずの世代間順序を平然と破れという。
そんなこと矛盾ともなんとも思ってなかった。
不文律その4「家の継続のためには他の原則が無視される事もある」
「家」とは中々絶大なものなのであるな。
(来週に続く)
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