家尊人卑(その23)
家尊人卑
前回までは江戸時代以前の日本は男尊女卑ではなかったという話題を中心に続けてきたが、今回からは「それでは当時は何だったのか」という話に移る。
それはそのものズバリ、このシリーズのタイトルにもなっている
家尊人卑! というのが私の結論でる。
つまり「家」が上で「人」が下だった。
おしまい。。。では話になりませんね。
ひと頃「家の制度」とかが否定的な意味で言われたが、じゃあどこの誰がそんな制度設計をしたのかと言うと、誰も答えない。
そんな制度を作った人はいないからだろう。だから「家の制度」など無いとも言える。
にもかかわらず、不文律としてあるようにも見える。
さて、あるのやら、ないのやら。
「家=家族」と考えてしまえば「ある」ことになる。
これもひと頃、日本人の宗教観にいちゃもんをつけて「あなたの宗教は何ですか」と尋ねても答えられないから云々、というのがあった。
これは尋ね方が悪い。
「あなたの家の宗教は何ですか」
と訊けば間違いなく「浄土宗」とか「日蓮宗」とかの答が返ってくる。まあ、近年は自分の家の宗教も知らない若者が増えているのかもしれないが。
何にしても、「家の宗教」があるのだから日本人は無宗教ではない。まあ、非宗教なのかもしれないが。
「あなたの宗教は何ですか」というのは一神教的な質問である。個人主義だな。しかし日本は違うので「あなたの家の宗教は何ですか」と訊かなければ正しい答は返ってこない。
ここなんですね。家が上で人が下。
全ては「家」が中心。
つまり行動、主張、生存の根拠が「家」にある。
しかし「家」の前に出れば誰もが平等であると。
で、どうも皆さん「家」が暗くて陰気で悪いようなニュアンスで語られますので、本当にそんなに悪いのか、という話も含めてこの話題を進めるとしよう。
「天皇制」と同じで「家の制度」なんて誰もそんな制度設計をして作った人などいないのに、何となく不文律としてあるように見える。
さきに注釈をつけておくと、皇室は存在するが「天皇制」という制度はない。いつ誰がそんなものを作ったのか。
現在に至るまで連綿と続いているのは皇室であって「天皇制」ではない。
誤解をひとつ解いておこう。
「日本国憲法第一条で天皇制が規定されてる」という人がいるが間違いである。
現行憲法の第一条は「天皇は日本国の象徴である」と定めているだけ。「天皇制」などは定めていない。
これがどういうことかと言うと、憲法を改正して第一条を削除した場合、それによって生じる結果は
「天皇陛下が日本国の象徴ではなくなる」
ということであって、皇室が無くなるわけではない。
ここを勘違いしている人が多いので、この機会に念押しをしておく。
そこで本来の話題に入るが、武家でも商家でも「家訓」があったりして、そこに帰属する人たちは家訓に従わなければならない。正に「お家大事」であり「家の物(金)を勝手に使ってはならない」わけである。
商家の場合は理解しやすいだろう。要するに「会社」なのだから。
現代でも「会社のものを勝手に処分してはならない」とか「会社の金を勝手に使ってはならない」とかは常識である。
つまり江戸時代の商家というのは「法人」として認識されていたということ。「法人」という考え方とか制度があったかどうかは知らないが、事実上の法人だったわけである。
江戸時代の商家の「家の制度」というのは「法人という考え方だった」とすれば、これは結構「進歩的」だったのではありませんか。
家尊人卑は決して悪くない。
武家はどうか。
時代劇や時代(歴史)小説で面白い「使い分け」がある。
江戸初期の殿様に使えている侍は「家来」とか「家臣」だが、江戸後期になると「藩士」になる。
「〇〇家臣、何の何兵衛」だったものが、「〇〇藩藩士、何の何兵衛」に変わっているわけだ。
帰属意識の対象が殿様から藩に移っている。
現代でこういう捉え方がされるというのは、江戸後期になると藩というのが法人化していて、お侍も「殿様」という個人の家来ではなく、「藩」という組織の一員として認識されていたからではないか。
「家の制度」というと何かこう、暗くて陰湿なもののように言い募る人がいるけれど、本当は「法人」ということではなかったのか。
そんなに悪くないじゃん、ということなのである。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・298】