家尊人卑(その21)
~昔の日本女性の職業はバラエティに富んでいた~
江戸時代以前の日本は男尊女卑ではなかった、という話を長く続けてきた。今回は女性が職業を持って自立していた件についてである。
まず、女性の職業にはどんなものがあったのか。
【販売業】
大原女、紅粉解、餅売り、扇売り、帯売り、白粉売り、魚売り、木皿(ひきれ)売り、饅頭売り、草履売り、硫黄箒売り、煎物売り、米売り、豆腐売り、素麺売り、麹売り、灯心売り、畳紙売り、綿売り、薫物売り、心太(ところてん)売り。
「紅粉解」というのは紅花の粉を売る人で、今でいえば口紅、リップスティックを売る人なので、化粧品屋さんかな。
「硫黄箒」というのは掃除に使う箒ではなく、薪などに点火するためのつけ木である。マッチの原形のようなもの。「硫黄箒を売る少女」はさしずめ「マッチ売りの少女」になるかもしれない。
「煎物」というのは肉や野菜を水分がなくなるまで煮込んだ料理なので、佃煮屋さん。
「薫物」はお香のこと。
こういったセールスレディーがいたのである。
【専門職】
紺掻、機織、酒作、縫い物師、摺り師。
「紺掻」というのは染色をする人のこと。
「酒作」は「酒を売る人」という意味もあるする説も捨てがたいのだが、ここでは文字通りお酒を作っていたと解しておく。なぜならば、昔は「口噛みの酒」というのがあり、つまり、女性が原料を口でくちゃくちゃと噛んで、樽の中にベーッと吐いて出したものを発酵させてお酒にしていたから。
【芸能】
女盲、白拍子。
「女盲」は瞽女(ごぜ)のことで、盲目の女性芸人である。江戸時代には三味線や胡弓を弾き唄い、門付巡業を主として生業とした旅芸人だが、室町時代には鼓を打って『曾我物語』を語ったそうである。同じ盲人でも男は『平家物語』で女は『曾我物語』だったのかな。
「白拍子」は平安時代末期から鎌倉時代にかけて流行した歌舞、およびその歌舞を業とする舞女をいう。『平家物語』にも出てくるのはご承知のとおり。
【宗教】
持者、巫女、比丘尼。
「持者」というのは持経者とも言って本来は「お経を読む人」なのだが、山伏なんかと一緒になって遠くのお寺へ参拝に行く人を案内もした。いわゆる先達もやった。今風に言えば添乗員ということになるのかな。
「巫女」は今でもある。「比丘尼」は女のお坊さん。
【その他】
立ち君、辻君、すあい。
「立ち君」、「辻君」は分りますね。今で言う売春婦である。
「すあい」は本来は呉服や小間物を売る女性なのだが、密かに売春もやっていたらしい。江戸時代の「饅頭売り」も同じだという説もある。
まあ「その他」の職業を「自立した女性の仕事」に含めて良いのかどうか分からないが、いちおうこれだけの職業があった。
男尊女卑どころか、結構「社会進出」の場があったのである。
確かに、社会のタテマエとしては女性の地位は低かったのかもしれないが、実質的には活躍していたのだ。ダメ亭主を養っていた猛烈かあさんもいたらしい。
「昔は男尊女卑だった」という安易な括り方はそろそろやめにしてはどうだろうか。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・296】