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    京都ミステリー紀行

    家尊人卑(その10)

    ~武家の正室には職務権限があったのではないか~

     前回で「結婚したとき夫の身分は低かったが、その後、貴くなった者」は奥さんを離婚できなかった、という規定が養老令にある事を紹介したが、江戸時代には旦那さんが死んだら奥さんに子供を勘当する権利が移った。

     

     ここから一定以上の社会的地位が出来た人の奥さん、つまり正妻、武家ならば正室となった女性には特別の役割が与えられていたのではないかということが考えられる。

     明治以降は今のわれわれのイメージにある男尊女卑の考え方が出てきたようだが、江戸時代以前もそうだったと安易に考えるのは思考停止だろう。

     たとえば一般向けの歴史雑誌で「○○○○の女性」特集が組まれたりして、そういうのを読むと「男尊女卑だった」と言うわりには活躍した女性が多く、それら全てを「気が強かった」とか「内助の功」だとか「男勝り」とかの「例外」として捉えて良いものか?
     
     武家の正室には正室として果たすべき役割があったのではないか。時としてそれは一種の職務権限にもなったのではないか。
     実際、町人なら奥さんが子供の勘当権を持てた。

     そこで男尊女卑という色眼鏡を外して武士の世界で活躍した女性について見て行くことにする。
     この視点は別に私のオリジナルではなく、新潮新書から出ている北川智子さんの『ハーバード白熱日本史教室』を読んでいただければその一端が良く分かる。

     前置きが長くなったが、まずは手始めに豊臣秀吉の奥さん、北政所を見てみみよう。

     豊臣秀吉の奥さんは北政所で、長らく「ねねさん」と呼ばれて親しまれてきたが、近年では「おね」が正しいのだとされてこちらの呼び方が幅をきかしているようである。
     
     どっちが正しい?

     実はどっちも正しい。

     私は正しい名前は「ねい」さんだったと思っている。漢字で書けば「寧」である。
     「ねね」も「おね」も愛称で、一人の人にこの二つの愛称が同時に成立し得るのは「寧」という名前しかないのではないか。

     この北政所だが、秀吉の死後も徳川家康から1万3千石の寺領をもらって(今ではライトアップで有名になっている)高台寺を作り晩年をすごした。
     1万3千石というのはハンパではない。1万石以上で大名なのである。最低クラスの大名よりもまだ3千石多かった。大名になるのが如何に大変だったかというと、旗本の最高クラスの人の石高が9999石だったというから、この僅か1石がエベレスト並みの高いハードルだったわけだ。

     ちなみに江戸時代、天皇陛下の石高が1万石だった。正確には1万15石4斗9升5合。

     天皇陛下の給料よりも北政所の年金の方が多かった。

     徳川家康がどれほど政所を優遇していたかが分る。

     いくら秀吉の奥さんで人望のあった人でも、大坂の陣で豊臣家も滅んでしまった上に職務権限も何もない人である。どうして1万3千石もの年金を出す必要があったのか。
     噂によると家康というのはケチな人だったそうだから、何もなしに大盤振る舞いをするわけがない。気を使わなければならない「何か」があったはずである。

     では、その「何か」とは何か?
     
     一説によると、関が原で東軍についた加藤清正や福島正則は北政所が家康に引き合わせたとか。
     家康から貰った1万3千石の寺領はこの論功行賞だともいわれている。

     その真偽はともかく、秀吉が死んだ後も「子飼い」の武士たちは北政所と付き合いがあったし、政所は徳川家康とも交流があった。余談だが当時、家康と政所の「親密な仲」が噂になった事もあるそうで、現代なら週刊誌やワイドショーが放っておかないだろう。
     まあ、それほど家康は政所と連絡を取り合っていたらしい。

     こうなるとひとつの「絵」が見えてくる。

     北政所は徳川幕府樹立の立役者の一人であったのではないか。

     豊臣政権の親玉の奥さんが徳川への政権交代を支持した。家名も政権も全てを捨てて家康を応援した対価が1万3千石だったのではないのか。

     秀吉の死後、淀君や石田三成などは北政所が煙たかったようだ。政所も煙たがられているのが分ったと思う。
     なぜ煙たかったのか。
     
     それまで北政所は政権の運営に助言をしていたからではないのか。

     政所が単なる良妻賢母で内助の功の人だったならば煙たがる必要はない。口出しするから煙たいので、またそれが正論だったりすると余計に煩わしい。だから淀君一派は政所を遠ざけたかった。

     一方、北政所も元々低い地位から上って来ているので、政権なんかいいや、豊臣家もいいやと思ったのでは?
     秀吉と政所はその当時の武家では珍しい恋愛結婚だった。
     この世の栄華も家名も何も要らない。ただ、秀吉との思い出をそのままに暮らせる生活が出来れば良いと割り切ったとしたら? 人生の晩年になって、もう一度「藤吉郎さんとねねさん」に戻りたかった。
     
     だとすれば戦国大名サバイバルゲームの決勝戦で政所が徳川を支持したのも頷けるのではないか。

     徳川家康が接近し、加藤清正や福島正則のような「武断派」が徳川につくよう根回しが出来たのも、北政所にそれだけの政治力があったからである。それは急に出てきたものではなく、豊臣政権時代から発揮されていた。
     そしてその権限は「内助の功」などではなく、秀吉の「正室」であったというところから来ているのではないのか。
     武家の正室には一定の役割が認められていて、それが政治の分野に及ぶ事もあった。このような役割が期待されるというのは、男尊女卑の考え方の下では起こらない。
     さて、それでは本当にそう思って良いのか、北政所以外の女性についても検証してみよう。
    (来週に続く)

    【言っておきたい古都がある・285】

     

    谷口年史

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    谷口 年史(たにぐち・としふみ)

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