観光立国と京都と(その2)
~「世界遺産」は取り消しもある~
さて、前回では観光立国の表のキーワードは「おもてなし」でも、裏のキーワードは「カジノ利権」であるという話をしたが、今回は世界遺産という話題に入る。
世界遺産と言うと、認定されてお目出度いという話ばかりになるが、逆に取り消されることもある。1回認定されればそれで未来永劫ずっと世界遺産だ、なんてことはないのだ。
実際、5年前にはドイツのエルベ渓谷が四車線の大きな橋を架けたというので認定を取り消された。
ちょっと面白いのは、ドレスデン市議会は橋の建設に関しては反対派のほうが多かったのだが、建設の是非を問う住民投票の結果、賛成が約68パーセントを占め、建設が決まったこと。何かこう、日本とは逆のようであるな。住民は「世界遺産」という称号よりも生活の利便性を選んだのである。
さて、日本にある有名な世界遺産のX(あえて名は伏す)も世界遺産取り消しの危機に瀕した。
ここが問題にされているのは駐車場。年間140万人に及ぶ観光者は自家用車や観光バスでやってくる。それらの膨大な数の車を受け入れるために作った駐車場が集落そのものの景観を破壊しつつある由。
面白いのは、公営の駐車場は料金に世界遺産としての環境を保護するための協力金も含まれている。つまり、駐車料収入によって集落の景観を維持しようというのだが、そのために増えた駐車場が景観を損ねているというのは笑えないパラドックスであろう。
それと、この駐車場、地元には何ら貢献していないのである。
バスを連ねてやって来る観光客の一人当たり平均滞在時間は40分!
みなさん合掌造りの集落に日本の心のふるさとを感じつつ、トイレを借り、ごみを捨てて、またもやバスに乗って排気ガスを撒き散らしながら去っていくのである。
普通、こういうのは「観光」と言わず「トイレ休憩」と言う。
地元にお金が落ちることはほとんどなく、儲かっているのは民営駐車場のオーナーだけ。そのオーナーも必ずしも地元の人とは限らないから要注意。
まあ、Xの地元自治体もこの駐車場問題には善処すべく努力しているようだから、Xが世界遺産の危機リストに載って挙句に取り消しというのはないだろうとは思う。
ただ、私はXでなくても日本のどこかの世界遺産が取り消しになってしまえば、それがショック療法になって、かえって良いのではないかとも思っている。
何はともあれ、全体の景観が損なわれれば取り消しになるということは、世界遺産というのは「点」ではな「面」だということだろう。
そこで京都である。
私は個人的に「京都ファンの進化の四段階」というのを制定している。
すなわち
【第一段階】清水寺や金閣・銀閣といった有名なところをまわる。
【第二段階】襖絵とかお庭とかいう自分の好きなテーマを決めてやや専門的な見学をするようになる。
【第三段階】特定のお寺を「マイ・テンプル」にする。
つまり、お酒の好きな人が行きつけの飲み屋を持つように、京都の好きな人は行きつけのお寺を持つようになるのである。そして春夏秋冬、そのお寺の貌の変化を楽しむ。
この段階で重要なのは、ほとんどの人がそのお寺だけではなく、周辺地域を含めて「マイ・テンプル」と認識していること。お寺という「点」ではなく、周辺も含めるという「面」で捉えているのである。
こういう人たちが増えてくれるとありがたい。
【第四段階】京都にマンションを買って移り住む。
ここまで来てしまうとわれわれ観光業者は儲からないので、何としてでも第三段階までで留まってほしい。
京都を訪れる観光客の7割が5回以上のリピーターである。これだけのリピーター率というのは外国ならばエルサレム、メッカ、バチカンといった宗教の聖地になる。聖地でもないのにこのリピーター率は驚異だろう。
お上が観光立国の旗を振る前から京都には人が来ている。むしろ余計な口出しはしてもらわないほうが良いかもしれない。
何回も言っていることだが、他地域はまず自分のところにどうやって来てもらうかを考えなければならないが、京都は考えなくても人は来てくれる。この差は大きい。
そして、われわれ(京都の者)はこれが当たり前だと思ってはいけない。
かつて「日本人は水と安全はタダだと思っている」と言われた。そして「それは危険なことだ」と。
それと同じく、「黙っていても人は来てくれる」というのが「当たり前」になると、やはり危険だろう。たまにでもいいから、「何故、黙っていても人が来てくれるのか」を問い直さなければ。
ユネスコは観光地を奨励しようと思って世界遺産を制定しているのではない。
それに、世の中には親の遺産を食い潰す連中もいる。
遺産というのは決して無限にあるわけでもないし。
で、今回の結論だが。。。
何事も「当たり前だ」と思うな。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・92】