五郎兵衛さんの京都(その7)
~神様だって洒落を言う~
前回は江戸時代中期に活躍した落語家の元祖・露の五郎兵衛と現代に活躍した二代目露の五郎兵衛とを絡めて紹介した。
そこで前回からの宿題になっている話だが、高貴な家の奥方に夜這いをかけた男の名前が何故「蝉丸」なのか、ということである。
本稿をお読みのかなりの方は「蝉丸」と言えば『百人一首』に
これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関
という歌を残している人だとお分かりだと思う。
この歌の解釈は
「東国へ旅立つ人もそれを見送って帰る人もここで別れ、知っている人も知らない人もここで逢うという、ここがその逢坂の関だ」
というものだが、艶笑譚の中の男の名前が「蝉丸」なのはこの有名な歌をあえてエロチックに解釈しているのである。つまり、
「男が女の所に夜這いをかけに行って帰ってくる。行為が終れば後腐れなく別れるのだが、夜這いをかける方もかけられる方も顔見知りであったりなかったりする。亭主の目という関門を突破して逢瀬を楽しむこのスリルはたまらん」
これだから男の名前は「蝉丸」でなければならないのだ。
艶笑譚に出てくる男が「蝉丸」であることにより、それを聴いた人はすぐに『百人一首』の歌を思い浮かべる。そしてその解釈の妙にクスッと笑うのである。そして、これは話し手が聞き手の教養を信頼していて初めて成り立つ。
艶笑譚は決して下品なものではない。本来ならタブーである下半身をネタにするため、かえって洗練されなければならないのである。その洗練のための道具として古典が使われ、そそれを即座に理解できるほどの一般教養が大衆の側にあることが前提となる。前回で「奥が深い」と言ったのはこういう事なのだ。
蛇足ながら付け加えておくと、『百人一首』にはもっとストレートに下半身ネタを取り上げた作品が収録されている。
これまた有名な藤原道綱の母の歌。
嘆きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る
教科書などでは「夫のいない夜のひとり寝の悲しさを歌った」と解説されているはずだが、これを分かり易くいえば
「夫が最近セックスをしてくれない」
という意味である。こんな分かり易い事はない。ただ、中学や高校の教室でこんな分かり易い授業をすれば問題になるだろうけど。
何はともあれ、エロの極みは高尚になる。あるいは、両極端は一致すると言うべきか。
ということで、一転して江戸時代の五郎兵衛さんが残した『軽口露がはなし』のエピソードに戻ろう。
巻三第一のお話。
上京にひとりの職人が住んでいたがその暮らしは貧しかった。そこで上御霊神社と下御霊神社に願をかけて、
「銀一貫目(120万~140万円ほど)ください」(小判で16~17両ほしい)
と願った。
誠心誠意お祈りして満願の日を迎えたのだが、その夜、神様が夢枕に立って仰った。「お前な、分際というものを知れ。厚かましいことを言うな。わしなんか、神様やと言われているけど、上御霊と下御霊で氏子が沢山いても貰えるお金は上の五両(御霊)に下の五両(御霊)で合わせて十両(80万円ほど)だぞ。それをお前1人に16~17両もやれるか。それでも、まあ可哀そうだから言うが、ここではなく真如堂の稲荷に行って福を祈れ」
これを聞いて目を覚ました職人は腹を立てて言った。
「稲荷と言うのは稲を荷うというので百姓にはご利益があっても職人には筋違いになるだろう。願いがかなわないのなら満願の日まで待たせずにもっと早くそう言ってくれ。大変な無駄をしてしまったではないか」
と社殿に向かって「この四一両(与市郎)め!」と罵ったと。
この最後のオチは分かり難い。一説によると、その当時の役者に係わる流行語なのではないかという。このあたりは時代が変わるとお手上げだろう。前に紹介した「地獄八景亡者の戯れ」も、本来のオチは現代人には意味不明である。まあ、漢方薬に詳しい人なら笑えるのだろうが。
ここの面白みは上御霊神社と下御霊神社の神様が「御霊」と「五両」を引っ掛けた洒落を言っていること。江戸時代は神様も洒落を飛ばしたのである。そして願い事を断ったと。
こんなことってあるんですね。
神様は願い事を断ることもある。しかも断るなら断るで、早くそう言ってやればよいものを、わざわざ満願の日まで引っ張ってるし。
じゃあわれわれは一体何を信じれば良いのか。
苦しいときの神頼み。
これって、意味がないことになるのではないかな。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・155】