五郎兵衛さんの京都(その4)
~出もの腫れ物ところ嫌わず~
江戸時代の元禄期に京都で活躍した「落語の元祖」露の五郎兵衛さんの話芸を聞き書きにして残した『軽口露がはなし』をネタ本にして江戸時代中頃の京都の様子を覗いてみようという試みをしているわけだが、この本を読むと前回のシリーズであった「中世トリビア」のネタ本にした『沙石集』との共通点があった。何かというと
おなら(屁)の話題が目立つ。
時代が変わっても洗練されていない、尾篭なネタが一般庶民には受けたということか。まあ、お公家さん向きの笑い話にはこんなのは載らないだろうし、同じ庶民を相手にしても江戸で出版された本は気取ってこんな話は載せないかもしれない。
ただし、鎌倉時代の『沙石集』では屁のことを「下風」(げふう)と表現して、上品さを取り繕っているが、江戸時代になるとストレートに「屁」である。時代の流れも在るだろうし、作者が僧侶か庶民かにもよるのだろう。
現代でも屁のネタで笑わせようとする芸人もいるが、やはりこういうネタは安易にやられるとつまらない。それで笑わせたつもりになっている芸人こそ鼻つまみ者だろう。
そこで五郎兵衛さんはどんな話しをしていたのかと言うと、巻一第十五では
町内の寄り合いで二階座敷に集まっていたが、長い話し合いが終って帰り際、ひとりが屁をこいだ。すると近くにいた者が
「これは天下大屁ですな」(天下泰平)と言えば、こいだ本人も
「こくと安堵いたしました」(国土安堵)と言って笑った。
とまあ、中々「お上品」に属する話しが収録されている。「こくと安堵」は「とくと安堵」ということだが、江戸時代の京都ではこれで「クスッ」と笑える人がたくさんいたのである。一般人のセンスはレベルが高かった。
とは言うものの、ここは京都、江戸のように気取ってばかりでもない。巻一第十七には次のような話がある。
もう二十歳にもなるのに遊び呆けている息子に手を焼いた父親が、ついに業を煮やして知人を伴い息子が入り浸っている料理屋へ鉢巻をしめて寄り棒(捕り手が犯人を捕まえるときに使う長い棒)を持って乗り込んだ。
親父の怒鳴り声を聞いた息子は慌てて二階へ走り上がったものの隠れる場所が無い。思い余って天井に隠れようとしたが、腰から下が天井にぶら下がった状態で発見されてしまった。
下で見ていた父親とその知人は呆然としてそれを見上げ、
「これは何だ?」
「ろくろ首だろう」
「いや、首がないから、ろくろ尻ではないか」
と考えている。
息子は絶体絶命。ここが肝心と、体を天井裏に引き上げようとして腕と上半身に力をこめたら、その拍子に大きな屁が出てしまった。
すると父親が
「ろくろ首でもろくろ尻でもない。
ろくろ屁(息子の六郎兵衛)じゃ」
チャンチャン、なのである。
要するに、ただ単に屁で笑わすのではなく、笑いの道具としての屁をどのように使うかが肝要なのだろう。
現代でも演じられる落語に「地獄八景亡者の戯れ」という1時間にも及ぶ大ネタがあるが、この中にも屁の話題が登場する。
閻魔の前で何か芸をやれと言われた亡者の1人が「屁をこぎます」と言って、様々な屁をこぎ分ける。
「一尺より一寸だけ短い屁をこぎます」と言ってこいだ屁の音が「くすん」(九寸)
チャンチャンなのである。
安直に屁で笑わすのではなく、屁をどのように使うかという工夫の問題なのだな。
しかし、中世も近世も屁で人を笑わすというのは、やはり下半身に絡んだネタは一種のタブー、大っぴらに口にするものではないという共通の認識があったということだ。「出もの腫れ物ところ嫌わず」と言うけれど、そこをあえて大っぴらに言うから笑いにつながるのだろうが、このあたりの事情は、時代が移って現代になっても全くと言っていいほど代わっていない。
本来「秘すべき事」というのは、時代の波にもまれても変わる事が無いということか。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・152】