五郎兵衛さんの京都(その11)
~忘却とは忘れ去ることなり~
江戸時代の元禄期半ばに活躍した落語家の元祖・露の五郎兵衛さんが残した『軽口露がはなし』には、お笑いよりも哀愁のほうが漂っている噺もある。
巻三第十五のエピソード。
ある所(場所は明記されていないがお寺のようである)で茗荷(みょうが)の刺身が用意してあった。子供(小僧か)がそれをつまみ食いしたのを見咎めた人が
「これは昔から鈍根草ともいい、食べると物忘れをする。だから心を打ち込んで修行するものは堅く食べないものだ」
と注意すると
「それならもっと食べます。食べて空腹を忘れたい」
まあ食べ盛りの子供だったのだろう。
朝は早くから起こされて、雑巾がけと庭そうじ。嫌な先輩僧侶からはいじめられ、やっとご飯にありつけたと思ったらほとんど水分ばかりのお粥が一杯だけ。
1日は長かっただろうなと思う。
しかし茗荷を刺身にするか?
これは茗荷を薄く切って生で食べるわけだが、茗荷の香りを楽しむのだそうな。葱もこうして食べることがあるというのは聞いたことがある。蒟蒻(こんにゃく)の刺身というのはよく聞くけれど。そして筍の刺身はちょっと高級なのではないかとも思うけど。
魚が高くて買えない庶民がこんなものを食べたのかと思ったら必ずしもそうではないようだ。この話の舞台はお寺のようだから精進料理として食べたのだと思いがちだが、意外と美食の果てだったりして。
だがこうなると、冷奴も薄く切れば豆腐の刺身になるのだろうか。
ただ、庶民でも普通にお魚の刺身(京都ではお造りと言ったほうがしっくりくるのだけど)は食べていた。しかしそう沢山は買えなかったのは確かだろう。
山中貞雄監督の映画「人情紙風船」の中で、裏長屋の人たちが集まってお酒を飲んでいる場面があるが、限られた予算内で人数分の刺身を調達したため、一切れが物凄く薄いものになっていた。これもペーソスである。仕官の願い(就職活動)に失敗した浪人が居酒屋でラッキョウを肴に酒を飲んでたり、悲喜こもごも。
こういった浮世の憂さを晴らすにも、茗荷の刺身で全てを忘れようとしたか。
それにしてもお寺のお坊さんが何故また茗荷の刺身をたべていたのか。
ひょっとしたら、偉い坊さんは大伽藍の奥にふんぞり返って民衆の生活の実態を忘れているという五郎兵衛さんの皮肉であったかもしれない。
この「茗荷を食べると物忘れをする」というのは日本の常識のようで、これをネタにした笑い話もある。五郎兵衛さんからは離れてしまうが、参考までに紹介しておく。
ある旅籠でお客さんが忘れ物をしたまま旅立って行った。その人は結局戻ってこなかったのでその忘れ物は旅籠の主人夫婦のものになったのである。
これに味を占めた旅籠の夫婦、毎日毎日お客さんが忘れ物をしないかと期待していたのだが、ある日たいそう立派なお客が来て、お金もたっぷりと持っていた。夫婦は「このお客が何か忘れていってくれないだろうか。あの財布を忘れて行ってくれればいいな」と舌なめずりしていたのである。
しかし、そう都合よく忘れて行ってくれるものでもない。
そこでこの夫婦は一計を案じた。
この客に茗荷を食わせて何か忘れ物をさせよう!そこでその夕方、「本日は茗荷を食べるのがしきたりになっている日でございます」とそのお客に茗荷づくしの料理を出したのである。茗荷ご飯に茗荷のお汁、焼き茗荷、茗荷の煮付け、茗荷の天ぷら、茗荷の和え物。とまあ、これでもか、というぐらい茗荷を食わせた。
翌朝、この旅人が出立した後、夫婦は忘れ物はないかと部屋中を探しまくったのだが、何も見つからない。ついに女中を捕まえて、「あのお客は何か忘れていかなかったか?」と尋ねると、女中はしばらく考えていたのだが、やがて「アッ!」と叫んだ。
これは何か忘れて行ったに違いないと喜んだ夫婦、「何を忘れて行った?」と女中に尋ねたら、女中が答えて、「あのお客さん、宿賃払うの忘れて行った!」
チャンチャン、である。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・159】