京の五条の橋の上(後編)
〜元祖と本家とそしてもうひとつ〜
さて、京の五条の橋の上、ではないが、その近くに牛若丸と弁慶の像はある。
この像の妙にリアルなのは褌もつけていない弁慶の股間にはちゃんと付くものが付いているのである。この写真では分りにくいかもしれないが、小さいながらもちゃんと一物が付いている。
しかし、小さすぎないか。あまりのスモールサイズに弁慶さんが可哀そうになってくる。別に信楽のタヌキほどまでとは言わない。もう少し「立派」なモノを付けてあげられなかったものか。
五条通といえば牛若丸と弁慶なので、当然のように商店街にはこの二人の幟がある。
しかし、先週もご紹介したように、平安時代の五条通は現在の松原通なのだ。そこで、何と松原通にも牛若丸と弁慶の旗がある。
どこぞの家元か有名な会社のように本家争いをしている気配はないようなのが幸いだな。
五条通と松原通が「牛若丸と弁慶の通り」の座を巡って壮絶なバトルロワイヤルを繰り広げたら全国ネットのニュースになるだろうけど。いっそ、話題づくりにやってみますか?
一歩リードしているのは五条通のようである。ある店舗に五条通の壁新聞が貼ってあった。こういう1枚物の新聞でも地域をまとめる手段になる。しかも、ゆるキャラまで作っているようだ。
新聞の写真では分りにくいが、何と、歩いていたら街角にいたのである!
だけど、このキャラは「ゆるい」というより「きもい」ぞ。口の端から血を流してるし。五条通はホラー路線で行くつもりかな。
でも、こんなキャラのこと地元の人以外は誰も知らないのではあるまいか。
現在、京阪電車の駅名は「清水五条」になっている。
これ、まずくないか。京阪の駅を出てから清水寺までかなりあるぞ。知らない人は(特に外国人は)駅からすぐだと思ってしまうだろう。夏場なんか延々と歩いて、やっと清水寺にたどり着いたときには熱中症、何てことにもなりかねない。「祇園四条」も「神宮丸太町」も構わないけど、「清水五条」だけは何時見ても違和感を覚えるのである。
[googlemap lat=”34.996107″ lng=”135.768527″ align=”none” width=”500px” height=”300px” zoom=”15″ type=”G_NORMAL_MAP”]京都府 清水五条駅[/googlemap]
さてさて、何はともあれ、委細構わず歩き続けていると清水坂に到達する。そして清水寺を目指して二年坂、三年坂と歩を進めていると、あれあれ、こんなところにも牛若丸と弁慶が!
『義経記』によれば、牛若丸と弁慶は清水寺で決着をつけたことになっているので、このあたりに二人の「像」があっても不思議ではないのである。
ただしここのは凝っていて、時間が来ると二人の人形が現れて対決をする。
一体何処にあるのか、今度清水寺に行く時に探してみるのも一興だろう。
こうなると牛若丸と弁慶の対決に関しては、松原通が元祖、五条通が本家、そして清水寺が場外乱闘ということかな。実は対決の場は五条天神という話もある。
まあ、当時の五条通の何処かで出会って最初の対決は引き分け。清水の舞台でリターンマッチをして牛若が勝ったと。
これは決戦の場を清水の舞台に持ってきた牛若丸の作戦勝ち。
清水の舞台は水平ではなく傾いている。体の大きな弁慶が力任せに薙刀(あるいは太刀)を振るって動けば、勢いが余って舞台から飛び出してしまう。そうなれば一巻の終わり。牛若丸は弁慶に加速が付いて勝手に飛び出してくれれば良いのだから正面からは戦わず、動き回って相手をかわしていたのだろう。これが童謡などにある「ひらりと飛んで」の実態。
とまあ、こんな解釈をしたりもしている今日この頃である。
しかし、この連載も今回が52回目で、とうとう1年続いてしまった。途中で一回、休みをもらったが丸一年である。
2年目に突入してもご愛読いただければ幸いです。
【言っておきたい古都がある・52】