新春祇園めぐり・6
〜ご利益も色々〜
さて、建仁寺の境内を抜けると恵比寿神社があるのだが、その前に目に付くのが新道小学校の校舎である。ただしすでに閉校になった。
京都の小学校ではよくあることだが、ここの校舎も再利用されている。
「天才アートミュージアム」というらしい。どうも障碍者のための創作工房のようである。一般公開はしていないそうだが、案内の説明文に「障害者」ではなく、「障碍者」という正しい漢字を使っていた。「障害になる者」はけしからん、とか屁理屈をつけて「障がい者」などと書くより正しい字を書くべきだろう。
「障碍者」ならそのまま「身体に不自由のある人」という意味で屁理屈のつけようがないのだが、「碍」の字が当用漢字にも常用漢字にも入っていないので「障害者」という当て字が造られたわけだ。
さてさて、恵比須神社の鳥居である。この連載の2回目「財布塚」でも書いたのだが、境内の中にある鳥居には恵比須さんのお面の下に熊手があり、そこにお金がたまっているのである。
どういうことかというと、10円玉でも百円玉でも下から投げて、この熊手に見事入ったら商売繁盛間違いなし、ということらしい。しかし、中々1回では入りませんよ。お客様もほとんどの方が「運だめし」をされますが、一度でちゃんと入れることが出来る人はほとんど皆無です。
恵比須神社の裏を抜ければ宮川町である。すっかり観光地化してしまった花見小路よりも、この宮川町のほうが花街の風情を今に伝えているように思う。近年、一斉に設備投資をしたのか、どこも真新しい。この先、5年、10年とたてば落ち着いた渋い色になっていくのだろう。
時々、本物の舞妓ちゃんに会えます。お化粧してなくても可愛いですよ。
宮川町から松原通に入れば、街の中のひっそりと入り組んだところに寿延寺というお寺がある。
ここは「洗い地蔵」のあるお寺。このお地蔵さんの体のどこでも、自分の体の悪い箇所と同じところを洗えばその「悪い部分」が治るという。
「なで牛」みたいな民間信仰であるが、ここはいつ来ても大抵このお地蔵さんが濡れている。つまり誰かが洗ったのだ。昔からの民間信仰がまだ生きているのである。
これを「迷信」と切って捨てるのはたやすいが、この世のものならぬ何モノかにすがり付きたい人がいる限り、頭から馬鹿にしてはいけないと思う。このような民間信仰の中にも「日本力」というのは潜んでいるのだから。
洗い地蔵から建仁寺のほうに戻ると八坂の塔が見えてくる。塔を目指して歩いていくと、景観に配慮したマンションのエントランスがあるのも京都ならではだろう。
八坂の塔のすぐ手前にあるのが八坂の庚申堂である。門の上に見ザル、聞かザル、言わザルがいる。
60日に1回、庚申(かのえさる)の夜になると体の中の虫が抜け出して天帝にその人の悪事を告げ口する、というのでその夜は眠ってはならないと。そこでみんなでお酒を飲んで寝ずに過ごしたという、まあ酒飲みの理屈である。
摩利支天はイノシシを売りにしていたが、当然ここはサルを売りにしていて、お守りなども全てサルをデザインしている。申年生まれの人は一度入っておいたほうがいいかもしれない。
本堂にも見ザル、聞かザル、言わザル。香炉も見ザル、聞かザル、言わザル。燈籠も見ザル、聞かザル、言わザル。
カラフルな丸い物は「くくり猿」である。
猿が丸まっている姿だか、これは猿が子供を抱いているのだとも言われている。
この庚申堂も昔々は清水寺に匹敵する規模があったらしいが、時代の流れにもまれて今のように小さくなってしまった。しかし、規模は小さくとも歴史は古いのである。
庚申堂のすぐそばに聳え立つ八坂の塔は正式には法観寺である。いちおう「聖徳太子が建てた」ことになっているが真偽の程は分らない。
たまに「こんな街中にこんな塔があるんですね」という人がいるが、それは間違い。
街中に塔があるのではない。塔のある所が街中になったのである。
ところで、現在の八坂の塔は永享12年(1440)に室町幕府六代将軍・足利義教が再建したものである。今では重要文化財に指定されている。
足利義教といえば、悪いほうで有名な人だが、こういう文化的な仕事もしていたのである。やはり権力者たるもの、時として宗教のご利益にあずかるため功徳を積みたくなるものなのだろうか。
この塔を再建する事によって自らの行く末に幸あれかしと思ったのかもしれない。
悪者で有名な人でも宗教心の湧く時があるのだろう。
とは言うものの、足利義教さんはこの八坂の塔を再建した次の年、嘉吉の変で暗殺されている。
どうもご利益はなかったようである。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・35】