縁の下の力持ち
〜普段は見れない京都を支える人たちの姿〜
今回はちょっと趣向を変えて特に私の意見は挟まず、「ありのままの姿」を見ていただこう。
いつも何気なく見ているものでも、誰かが作っていたり、誰かが守っていたりするのである。その「誰か」は基本的には人目に触れない。しかし京都の文化のためにはそういった人たちの絶え間ない努力が必要なのである。絶対に必要だがほとんど誰も見ない。でも重要なもの。そういった、天台宗風に言えば「一隅を照らす」人たちの姿をご覧に入れたい。
先ずは知恩院。若いお坊さんが看板を書き替えていた。
黒い板に白い墨でお知らせや案内が書かれているのは何時でも目にするが、実際に書いているところというのは中々お目にかかれない。
板を下ろして書くのではなく、立ったまま書くのだな。これも修行の内なのかもしれない。
次は安井金毘羅宮。炎に浮かぶのは消防士の姿である。
狭いスペースで護摩木を焚くとなると怖いのは火事。万一に備えて消防士が来ているのである。
一般に「伝統建築は建築基準法に阻まれ、伝統行事は消防法に阻まれる」とも言われる。伝統の様式を守って建てようとすれば建築基準法の規定に合わず、伝統に従って火を焚けば消防法に引っかかると。
まあ極端な言い方かもしれないが、一部の真理は突いているだろう。
ただ、消防士が文化財を守ったこともある。数年前、京都の某寺の宝物館から出火した時、消防士たちが決死の覚悟で炎の中から展示されていた仏像を全て運び出したのである。人命救助の訓練をしている消防士が仏像を救助するとは、誰が想像しただろう。
その次は祇園祭の鉾を組み立て中。これは有名なのでパスしようかとも思ったのだが、やはり入れておく。
さて次の写真は高台寺で庭の製作中である。
ご存知の方も多いだろうが、高台寺の庭は普段は何の変哲もない枯山水であるが、春と秋には姿を変える。「創作の庭」になるのだ。
昨年は辰年ということで竜の造形が登場したが、春は薪、秋は瓦と、季節で作り変えたのである。芸が細かい。
写真は春の製作風景と出来上がり。庭全体を水面に見立て、竜がうねりながら泳いでいる様を立体的に描いている。
秋に登場した竜の頭の部分は今でも高台寺の竹林を出たところに展示されているので、今度行かれたらじっくり「にらめっこ」でもなさってください。
お次は醍醐寺。奥にあるあまり人が来ない庭をオジサンが掃除していた。こんな所でも手を抜かないのである。私は「ご苦労様です」と手を合わせた。
同じく醍醐寺では消火訓練をやっていた。しかも総勢4名!
ホースを持って走る姿は心もとないかもしれないが、そこは気合である。「気」の問題なのだ。たった4人で真面目に消火訓練をするという、この「気」が文化財を守るのである。しかし、この広いスペースに4人というのは素朴である。ホースが今年の干支のヘビに見えなくもない。
私はかつて東本願寺の消火訓練を見学したことがある。その時は梯子車まで繰り出して梯子を一杯に伸ばしていくというパフォーマンスもあった。
何より圧巻だったのは御影堂に内蔵されたスプリンクラーが一斉に放水した時。水がスクリーンのようにお堂を包み込んで壮観であった。
それに比べればこの醍醐寺の訓練はこじんまりとし過ぎているものの、頼もしく。。。もないかもしれないが、この人たちこそ縁の下の力持ちなのである。私はそう認定する。
最後は上賀茂神社。おなじみのあの立砂を作っているところ。
いつも何気なく「ああ、あるな」と思って見ている砂の円錐も、こうして作っているのである。オジサン、ご苦労様です。
このように、京都の文化財は名も無き人たちによって支えられているのである。これこそが本当の文化の力であろう。
【言っておきたい古都がある・66】