英語の束縛(その4)
~小学校で英語を教えるな~
さて、前回までで英語が出来るというのと国際人であるというのは関係が無いと言ってきたが、まだまだ「語学の発信力を持つ人材を養成する」ために小学校で英語を教えろと主張する人がいる。
そういう人たちの論旨は同じで
「日本人が英語を学ぶにはハンディがある。学校では文法や読解力ばかりで実際に使える英語を教えてもらっていない」
と言うわけだ。まあ、ここまでは一般論として誰も反対はしないだろう。
ところが、ここにとんでもない事を言う人が現れる。大手英語教育会社の副社長をしている人だが、
「英語を身につけるには、英語で聞かれたことを英語で考え、英語で返す「英語脳」を養うことだ。それができる柔軟な脳を持っているのが子どもであり、英語で物事を考える習慣づけが必要になる」
と、のたまう。
私はこれこそ国を亡ぼす教育だと言いたい。
柔軟な脳を持っている小学生だからこそ、まず日本語を教えなければならないのである。だいたい、英語教育に携わる人は日本人でありながら日本語力が衰えるのか「二兎を追う者は一兎をも得ず」という言葉も忘れるらしい。まず小学生の段階では日本語の基礎を叩き込んでしっかりとした土台を作り、そのあと中学生になっから英語も教えればよい。今までこれでやって来たのである。
「しかしそれで英語が出来るようになっていない」という人もおられるだろう。何故そうかというと、日本語も出来ていないからである。英語と数学に重点を置いて国語がないがしろにされていないか?
私は小学生には英語ではなくて百人一首を教えた方がいいと思っているのだが。
まあ、英語教育産業の人は商売だから仕方が無いにしても、全国紙でも
英語底上げ急務
他国との差が顕著
と見出しに謳い「英語力の底上げが求められている」とのたまうのである。
この件については次回に書くが、何はともあれ、小学校で英語を教えるのはやめよう。「英語脳」など作ってはいけない。日本人が日本語でものを考えられなくなってどうする。
私は総理大臣が政府のお花見に自分の支持者を招待するというセコイことをやっても許すし、湿度の高い日本の夏の炎天下にオリンピックをやって失敗しても許すが、小学校で英語を教えるのは許さない。
何とかこの新型コロナウイルスのどさくさに紛れて小学校で英語を教えるのを中止させる知恵はないものか?
たとえば、小学校が全休になったので休んで授業が遅れた分を無理なく取り返すために小学校の英語は延期します、ということにして、そのまま有耶無耶のうちに止めてしまうとか。
いっそのこと、立憲民主党の枝野幸男氏でもいいし、国民民主党の玉木雄一郎氏でもいいから、
「政権を取ったら小学校で英語を教えるのを止めます」
と言ってくれないかな。そうすれば絶対に「清き一票」を入れるのだが。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・379】