仏の迷い道(その10)
~表の顔と裏の顔~
江戸時代の笑話集『きのふはけふの物語』には坊さんを揶揄する話が満載である。つまりそれだけ僧侶と民衆との接点が多かったわけで、仏教というものが広く浸透していた証明にもなっている。仏教が身近だったからこそ普通なら見えない隠れた部分まで見えてしまうことがある。たとえば、熱烈な恋愛結婚をしたカップルでも、毎日一緒に暮らしていると相手の粗が見えてくるのと同じだろう。坊さんをネタにした笑い話があるというのは決して悪いことではない。
そこで今回はまず「お坊さんだというだけで偉いと思ってもらえるわけではない」という話から。「下の5」のエピソード。
ある坊さんが捨て子を引き取って育てていた。ところがこの子供、法華経を教えてもらっても少しも覚えず、師匠の坊さんの言うことも聞かず、ついに業を煮やした坊さんが
「お前は私が拾って子供の頃から育ててやったのに経を教えてもすぐに忘れて悪さばかりしているではないか。大きくなれば私の手助けにもなるかと思っていたのに、これではこの寺の跡を継がすことも出来ないぞ」
と叱りつけた。すると相手が答えて曰く
「それがどうした。文句があったら代官所に訴え出ろ」
と開き直ったわけである。
そこで坊さんのほうも振り上げた拳の下ろしようがなかったのか、本当に代官所に訴え出たのであった。
そこで代官がこの不良を呼び出して意見した。
「お前は御坊のいう事を聞かねばならない。ちゃんと孝行せよ」
と命じたわけである。
ところが相手は一向に動ぜず。
「毎日ガミガミ言われて迷惑しているのはこっちである。育ててもらって人にしてもらったというが、馬や牛の子を育てて人にしてもらったのなら感謝もしようが、私は元々人である。また経を教えてもらっただろうなどと言われても、ひとつも覚えていないのだから貰った物を返したも同然。寺の跡取りにするとかいっても、御坊が生きているうちに跡を取らせてくれるのならまだ有難いが、御坊が死んだ後では私より他に継ぐ者がいないのだから恩に感じるようなことも無い。それなのに朝から晩までガミガミ言われて、こっちのほうが迷惑だ」
ふてぶてしく言うものだから奉行たちも呆れ返って何も言えなかったとさ。
お坊さんでも子育てに失敗する。
いわんや一般人をや。
あえてこの不良を弁護すれば、この坊さんも口では偉そうなことを言っていて、裏では結構生臭をやっていたのかもしれない。あるいは「拾ってやって養育した」というのを恩きせがましく言われ続けていたのかもしれないし。
真相は藪の中である。
ただ、ここで面白いのは「馬や牛の」と言っていること。現代なら、さしづめ「犬や猫の」と言うに違いない。この時代、庶民に馴染みの深い動物は馬や牛であったと言うこと。犬や猫のペットを飼うというのは贅沢なことだったのではないだろうか。
お次は「下の6」より。これはお寺の奥さんのことを「大黒さん」と言っていたのを知らないと笑えない。
ある寺にある秘仏の大黒天を特別に見せてもらいたいと言ってきた旦那さんに和尚さんが
「先代の頃にはありましたが今はありません。他人の言う事を真に受けないでください」
と丁重に断った。
旦那さんは「私はちゃんと知っているのですよ。他の人ならいざ知らず、この私が何年ここの檀家か分かってるのですか」
と強く押してきたので和尚さんも断りきれず、「絶対に人に言わないでくださいね」と念押しすると、美人の奥さん(大黒さん)を呼び出した。
いきなり美女が出てきたのでうろたえた旦那さんは、
「違う違う、これではなくて、本物の大黒さんを見せてくれといっているだ」と重ねて頼めば、和尚さんは
「まあ良くご存知で。かないませんな。絶対に他で言わないでくださいよ。旦那さんだから特別にお見せします」
と、天女のように美しい女性を連れて出てきましたとさ。
1人ならず2人までも。
元気な和尚さんである。
子育てに失敗した坊さんは強面の顔が浮ぶが、奥さんが2人いたほうは福々しい丸顔が目に浮ぶ。美人を2人も奥さんにして、この和尚さんが逝ってしまわないか心配だが。
お寺の奥さんのことを「大黒さん」と言うのは大黒天は台所の神様ともされているからだろう。
本家本元インドの大黒天は戦争の神様で三面六臂の恐い人である。それが中国に渡ってから食料の神様になり、さらに日本に来て福の神になった。神様も新しい環境に慣れるのは大変なようだ。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・170】