海外で活躍する日本語たち(前編)
~枝豆はグローバルおつまみになった~
「海外で活躍する日本人たち」という特集は珍しくもないが、ここでは「日本語たち」である。
つまり、英米でそのまま使われている日本語について書いてみたい。
あれは私が高校生ぐらいのときだろうか、深夜放送でやっていたアメリカのホラーかサスペンスかの一話完結のドラマシリーズで「津波」というタイトルの話があった。まあ、津波が来るぞ~、という恐怖感のドラマではなかったかと思う(実は内容は覚えていない)。
これで驚いたのは、最初に原題のタイトルが映ったとき、それが
Tsunami
となっていたことである。
津波は英語でもツナミと言うんや~と、すっかり感心してしまったのである。
さて、翻って現代ではますます多くの日本語がそのまま海外で活躍している。
かつてはしたり顔で「フジヤマ・ゲイシャ」などと言う人がいたが、その頃でももっと多くの日本語が活躍していた。
寿司、天ぷら、豆腐は言うに及ばず、ラーメン、焼き鳥もそのまま市民権を得ているのだ。
食べ物で言えば、過去10年で枝豆、焼きそば、ギョーザというのが何とあの英語辞書の最高峰「オックスフォード英語辞典」(OED)に収録されているのである。
ふと気がつくと、これらは居酒屋の定番ではないかと思ってしまう。
そうか、訪日外国人たちが居酒屋に晩御飯を食べに入り、これらにいたく満足して帰ったのではなかろうか。
これからの季節、居酒屋では枝豆で生ビールという光景が見られるようになるが、あたら疎かに食してはならない。
海外で活躍する日本人が取り上げられるとき、その人たちが英語を良く喋るのが評価されることがある。それが国際的な日本人だと。
しかし日本が国際化するというのは英語の喋れる日本人が増えることではなく、日本語分かる外国人が増えることである。日本の国際化とは日本語の国際化である。日本語を学び、日本語が喋れる外国人の増えていくのが日本の国際化なのである。
つまり、枝豆はその辺でテレビに出ているような有識者よりも日本の国際化に貢献しているのでだ。
侮りがたし、枝豆!
諸君、枝豆は心して食そう。
ちなみに、居酒屋というのも izakaya とそのまま英語になっている。OEDに収録されてますよ。
こうなると居酒屋というのは税金をつぎ込みゼネコンを儲けさせて建てた国際センターと称するものより、よほど国際化に役立っていることになる。
10年以上前、知り合いだったイギリス人が「日本食は何でも食べるけど、これだけはダメ」と言っていたのが納豆であった。
ところが、この納豆もOEDに載ったのである。恐るべし、日本食ブーム。
文化面で言うと、これはもうご存知、マンガとカラオケ。
私はイアン・ランキンのミステリ小説で労働者が画面の歌詞を眼で追いながらカラオケで歌っている場面を読んだとき、どこの国も一緒やなと思ってしまった。
マンガに至っては市バスの中で外国人女性が『あさきゆめみし』を原書、つまり日本語で読んでいるのを見たことがある。これまた衝撃であった。
三島由紀夫は赤塚不二夫のファンで、新潮の編集者が原稿をもらいに行ったとき、三島さんが少年サンデーの「もーれつア太郎」を読んでいたのを見て、
「三島先生がそんなものを読まれるんですか」
と訊いたら、その三島先生が、
「君、こういうものを馬鹿にしてはイカンよ。いずれこれが広く認知されて立派な日本文化の一つになるときが来るよ」
と答えた由。
今、本当にそうなっている。
ただし、さすがの三島先生もカラオケまでは洞察できなかったようだ。
しかし、どうも国際的に活躍する日本語(や日本文化)というのは、政府や学者や有識者が鳴り物入りで広めようとしたものではなく、一般の人(大衆とか民衆とか言われる人たち)が肩肘張らず愛好したもののようである。
とは言うものの、光あるところには闇がある。
次回は国際化した日本語の中で、あまり嬉しくないものを取り上げたい。
【言っておきたい古都がある・84】